交野天神社
交野天神社(かたのあまつかみのやしろ/かたのてんじんじゃ)は、大阪府枚方市楠葉丘にある神社。旧社格は村社。継体天皇の樟葉宮の跡地と伝えられている。 祭神歴史『続日本紀』及び『岩清水神宮 縁起』によると、桓武天皇が延暦6年(787年)11月5日、交野郡に父光仁天皇を祀るための郊祀壇(こうしだん)を設けたとあり、ここがその地で当社の起源であるとされている[1]。 当社は元交野天津神と称したが、中古に至って樟葉神社と改め、後に天神宮と改め、その後に天神社と称したが、1888年(明治21年)2月に今の社名である交野天神社に改称している[1]。 そもそも当郷の氏神は、現在は当社の末社となっている貴船神社であった。しかし、当地に光仁天皇を祀る社が新たに建立されてやがてそれが本殿となると、元々あった貴船神社は末社とされ、新たな本殿・交野天神社がこの一帯の氏神となった[1]。しかし、慶長年間(1596年 - 1615年)の頃に町村が分離して新たに二社を別に建立し、一社には天児屋根命(春日神社)、一社には菅原道真(天満宮)を奉斎した。しかし、1872年(明治5年)に再び当社に合祀された[1]。また、当社は村社に列せられている。 境内には原生林が生い茂っているが、そこに末社・貴船神社がある。元々は違う場所にあったのだが、後にこの場所に移築された。この場所は継体天皇の樟葉宮跡と伝えられている[1]。神社の境内一帯は1984年(昭和59年)に枚方市から「枚方八景」の一つ「樟葉宮跡の杜」に指定された[2]。 ただし、『五畿内志』、『河内名所図会』、『淀川両岸一覧』などには交野天神社を樟葉宮の跡地であるとする伝承・文書は記録されていないため、馬部隆弘は「明治7年に片埜神社が交野天神社から由緒を奪って堺県へ報告し、それに負けない由緒が交野天神社に必要になったため、明治20年に至ってから継体天皇との関係を主張し出した伝承である」と指摘している[3]。 2018年(平成30年)9月の台風21号では境内の樹木が多数倒壊する被害が出た[4]。 境内
摂末社
文化財重要文化財
大阪府指定史跡枚方市指定有形文化財周辺神社も協力する形で付近の商店で構成する「樟葉宮表参道商店会」が存在し[12]、マスコットとして巫女姿の猫のゆるキャラで、ご当地キャラの「みっけちゃん」が2011年(平成23年)10月16日より活動している[13]。 所在地
アクセス
脚注注釈出典
外部リンクウィキメディア・コモンズには、交野天神社に関するカテゴリがあります。 |