亘理胤元
亘理 胤元(わたり たねもと)は、江戸時代末期の陸奥国仙台藩一門第四席・涌谷伊達家13代(亘理氏31代)当主。元は伊達 胤元(だて たねもと)を名乗った。 生涯安政4年(1857年)、伊達邦隆の子として誕生。慶応3年(1868年)3月、邦隆の急死により12歳で家督を相続し、涌谷邑主となる。慶応4年(1868年)の戊辰戦争には、叔父・亘理隆教が陣代として涌谷伊達家の兵を率いて出陣した。戊辰戦争の敗戦により仙台本藩が4分の1に知行を減封され、胤元も代々治めた涌谷領を没収される。明治維新後は、伊達から本姓の亘理に改めた。 明治2年(1869年)、新政府に北海道開拓を申請、空知郡の支配を許される。旧臣と共に北海道移住を志すも、在地で帰農を希望する者も多く挫折した。 明治15年(1882年)8月1日、死去した。享年26。嗣子の胤正は、アメリカに留学して農業を学び、大正4年(1915年)には衆議院議員となる。 出典
関連項目
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