井伊谷三人衆井伊谷三人衆(いいのやさんにんしゅう)は、永禄11年(1568年)末に徳川家康が遠州攻めを行った際に今川氏真から徳川方へ離反した近藤康用、菅沼忠久、鈴木重時の3人のことをいう。 遠州浜名湖の沿岸部を有する領主たちは、今川氏への忠誠心が比較的強かったため、家康は遠江侵攻の障害となることを危惧していた。そこで事前に、東三河の菅沼定盈を使って懐柔工作に動いた。定盈は、同族のよしみで菅沼忠久に接触。忠久が縁戚の鈴木重時を抱き込み、近藤康用まで取り込んだ。 これにより家康は、強固な浜名湖西岸部よりも防備の弱まった井伊谷から三河主力軍を進めて、曳馬城の年内陥落という早期制圧にこぎつけたのである。 この3人は家康の命を受けて、後に徳川四天王の一人である井伊直政の配下に付けられた。だが、いずれも後に井伊家を離れている[注釈 1]。 脚注
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