井上慎一 (野球)

井上 慎一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県[1]
生年月日 (1930-07-30) 1930年7月30日(94歳)
身長
体重
176 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1952年
初出場 1952年
最終出場 1953年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

井上 慎一(いのうえ しんいち、1930年7月30日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手

経歴

田川高校から三井田川鉱業所を経て、南海ホークスの二軍的なチームだった社会人野球南海土建へ入部。1952年に南海ホークスに昇格する[1]

同年は19試合に登板して3勝を挙げると、巨人との日本シリーズで2試合に登板する。翌1953年大神武俊(19勝)・柚木進(16勝)に続くチーム3番目となる14勝(防御率2.92)を挙げ、南海のリーグ優勝に貢献。しかし、肩を痛めて同年9月中旬以降登板機会がなく、同年の日本シリーズでも出番がなかった。1954年以降は一軍での登板がないまま、1955年限りで現役引退した[1]

選手としての特徴

下手投げからシュートドロップを武器とした。特にシュートは相当威力があり、1952年の日本シリーズで投げた際、巨人の千葉茂が怖がるほどだったという[2]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1952 南海 19 2 1 0 0 3 2 -- -- .600 243 55.0 55 4 21 -- 3 20 1 0 25 16 2.62 1.38
1953 32 23 6 1 0 14 5 -- -- .737 729 178.1 160 8 42 -- 7 54 2 0 70 58 2.92 1.13
通算:2年 51 25 7 1 0 17 7 -- -- .708 972 233.1 215 12 63 -- 10 74 3 0 95 74 2.85 1.19

背番号

  • 11 (1952年 - 1955年)

脚注

  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、60ページ
  2. ^ 『鶴岡一人の栄光と血涙のプロ野球史』128頁

参考文献

  • 鶴岡一人『鶴岡一人の栄光と血涙のプロ野球史』恒文社、1977年

関連項目

外部リンク