五十嵐忠男 |
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2011年京都JS表彰式 |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
京都府 |
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生年月日 |
(1952-11-09) 1952年11月9日(72歳) |
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騎手情報 |
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所属団体 |
JRA |
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所属厩舎 |
田所秀雄(1973年3月 - 1977年11月) 清水久雄(1977年12月 - 引退) |
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初免許年 |
1973年 |
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免許区分 |
平地 |
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騎手引退日 |
1993年2月28日 |
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重賞勝利 |
2勝 |
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通算勝利 |
2584戦176勝 |
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調教師情報 |
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初免許年 |
1993年(1994年開業) |
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経歴 |
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所属 |
栗東トレーニングセンター |
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五十嵐 忠男(いがらし ただお、1952年11月9日 - )は、日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師、元騎手。息子の友樹は、小林真也厩舎の調教助手を1年で辞め、谷潔厩舎の攻め専にて勤務。
来歴
1973年に田所秀雄厩舎より騎手デビュー。初騎乗は同年3月4日阪神競馬第7競走のミスクロンサンで3着。初勝利は同年3月24日の阪神競馬第9競走のセンタービバーであった。
1977年に清水久雄厩舎に移籍し、騎手引退まで所属する。1984年の中日新聞杯をアスコットエイトで制して重賞初勝利。1990年のラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスをイソノルーブルに騎乗して優勝。その後はクラシックでの勝利が期待されたが、翌1991年のエルフィンステークスを勝った後、松永幹夫に乗り替わりとなり、クラシックで騎乗することはなかった。
1993年に調教師免許を取得、騎手を引退して調教師へと転身した。翌1994年に厩舎を開業。初出走は同年3月12日中京競馬第8競走のタイウンザーで14着、初勝利は同年7月2日札幌競馬第1競走のニッポーダイヤで、延べ16頭目であった。
2005年の阪神ジュベナイルフィリーズをテイエムプリキュアで制し、調教師としての重賞初勝利がGI(JpnIを含む)競走でとなった。
2023年2月28日をもって調教師を引退した[1]。
騎手成績
|
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率
|
平地 |
176 |
213 |
204 |
2584 |
.068 |
.151
|
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日付 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
初騎乗 |
1973年3月4日 |
- |
ミスクロンサン |
- |
- |
3着
|
初勝利 |
1973年3月24日 |
- |
センタービバー |
- |
- |
1着
|
重賞初騎乗 |
1973年8月19日 |
北海道3歳S |
ベルトップ |
12頭 |
12 |
10着
|
重賞初勝利 |
1984年1月22日 |
中日新聞杯 |
アスコットエイト |
8頭 |
1 |
1着
|
GI級初騎乗 |
1983年11月13日 |
菊花賞 |
アスコットエイト |
21頭 |
11 |
21着
|
主な騎乗馬
- アスコットエイト(1984年中日新聞杯)
- イソノルーブル(1990年ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス)
調教師成績
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日付 |
競馬場・開催 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
初出走 |
1994年3月12日 |
1回中京5日8R |
4歳500万下 |
タイウインザー |
16頭 |
5 |
14着
|
初勝利 |
1994年7月2日 |
1回札幌7日1R |
4歳未勝利 |
ニッポーダイヤ |
8頭 |
3 |
1着
|
重賞初出走 |
1996年7月28日 |
2回札幌8日11R |
札幌3歳S |
ママノパンチ |
13頭 |
12 |
9着
|
GI初出走 |
1998年10月25日 |
5回京都6日11R |
秋華賞 |
スピーディローザー |
18頭 |
15 |
17着
|
GI初勝利 |
2005年12月4日 |
5回阪神2日11R |
阪神JF |
テイエムプリキュア |
18頭 |
8 |
1着
|
主な管理馬
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 合谷喜壮(2002年 騎手、2002年-2006年 調教助手)
- 古川吉洋(2005年 騎手)
- 南井大志(2006年-2007年 騎手)
- 国分恭介(2009年-2010年 騎手)
脚注
関連項目