亀屋みなみチェーン(かめやみなみチェーン)は、1993年(平成5年)時点で青森県内最大手のスーパーマーケットチェーンで[8]、青森市に本社を置いており[2][9]、経営破綻時点で29店舗を展開していた[7]
[9]。
歴史・概要
スーパー部門では「亀屋(Kameya)」のほかにも「K・バリュー」や「食彩館」「タートルズ100(タートルズプラザ)」[要出典]などを展開していた。
買い物金額に応じてグリーンスタンプがもらえるサービスを行っていた。[要出典]
また、食料品店のみならず衣料品店「亀屋衣料館」、ドラッグストア「ワンダーK」、書店「BUZZ(バズ)」、子会社サークルケイ・ノースジャパンによりコンビニエンスストア「サークルK」、1980年8月からは、ハンバーガーショップ「タートリアン・ハンバーガー」(のちに子会社、タートリアンに移管)などを展開していた。
さらに、青森市には「ジョイフルシティみなみ」を2店舗(かつての「みなみ百貨店」を閉店して開店した。このうち、東バイパス店はユニバースラ・セラ青森東バイパスショッピングセンター、西バイパス店はガーラタウン マエダ西バイパス店として現在は営業中。)、十和田市には「ジョイフルシティ十和田亀屋」(開店当初は「ファミリーデパート十和田亀屋」で営業。長い間、空き店舗状態が続いていたが、2006年8月には解体される事が決まった。なお、跡地はホテルルートイン。)、野辺地町には「ジョイバリュー」(現在のマックスバリュ野辺地店)等、大型店舗も展開していた。[要出典]
毎年同時期に、オリジナル商品[独自研究?]が抽選で当たるキャンペーン「お買い物大作戦」を実施し、テレビCMも多く放映していた。
しかし、2000年に開店したジョイフルシティみなみ西バイパス店の売り上げが当初の予想をはるかに下回るなど経営不振に陥り、2001年10月に民事再生法の適用を申請、事実上倒産。当時青森県最大手のスーパーマーケットだっただけに県内には衝撃が走った。その後協同組合セルコチェーンに譲り受けが決定したが、わずか一カ月余の短期間で民事再生手続き廃止の決定がなされた。その主な理由としては、再生手続き中にもかかわらず重要な経営情報を開示せず、曖昧な報告を繰り返す亀屋側の姿勢に裁判所側が不信感を募らせたのが要因と言われている。これにより青森地方裁判所が再生手続廃止の決定を行い、2002年1月に破産。店舗は2001年12月中に歳末商戦を待たずして全て閉店となった。
その後、マックスバリュ東北などの同業者が閉店した店舗と従業員の一部を譲り受け[広報 1]、営業を再開した店舗がほとんどだが、一部では引き取り手が何年も経っても現れず用地の他の用途への利用等の為に取り壊されたものもある。[独自研究?]
なお、倒産直前に企業年金(適格退職年金)を解約し、従業員に支払われるはずの返戻金を会社が運転資金に流用した。その後倒産した為、従業員は仕事と退職金の両方を失う事態となった。[10]本件は裁判となり、後に返戻金を(一般債権より優先順位の高い)労働債権とする事で和解している。[要出典]
年表
過去に存在した業態
- K・バリュー - 約1万品目を取り揃えた食品のパワーセンター業態で、1994年(平成6年)4月19日に下町店開店[16]
過去に存在した店舗
青森市
- 1973年(昭和48年)11月開店[1]、店舗面積約7,445m2[1]。
- 中心商店街の新町通りと直交する古川通り商店街に出店していた[22]。
- 1988年(昭和63年)7月に郊外に移転することを決定し[13]、青森市八重田地区に「ジョイフルシティみなみ」が[23] 1990年(平成2年)4月に開店[14][15]
- 1962年(昭和37年)11月5日開店[24]、延べ床面積約962m2[15]、店舗面積約563m2[1]。
- 国道店 - 青森市古川1-21-13[4]、店舗面積約200坪[4]。
- 石江店 - 青森市石江字江渡12[4]。
- 1967年(昭和42年)4月5日開店[24]、売場面積240m2[24]。
- 1985年(昭和60年)9月開店[2][14]、店舗面積約495m2[2]。
- (現、さとちょう 青森富田店)
- 1964年(昭和39年)4月5日開店[24]、延べ床面積約1,114m2[15]、店舗面積約730m2[1]。
- 1965年(昭和40年)4月5日開店[24]、店舗面積約311m2[2]。
- 1968年(昭和43年)7月11日開店[24]、店舗面積約432m2[1]。
- 1969年(昭和44年)4月29日開店[25]、店舗面積約1,272m2[2][14]。
- 1970年(昭和45年)6月18日開店[26]、店舗面積約1,401m2[1]。
- 1971年(昭和46年)6月開店[3][14]、延べ床面積約1,350m2[15]、店舗面積約498m2[1] → 996m2[14][15]。
- 1975年(昭和50年)7月開店[1]、店舗面積約385m2[1]。
- 1989年(平成元年)3月開店[11]、店舗面積約350m2[11]。
- 1975年(昭和50年)12月開店[1]、店舗面積約428m2[1]。
- 1976年(昭和51年)9月開店[1][27]、延べ床面積約1,500m2[15]、店舗面積約1,274m2[1]。
- 1967年(昭和42年)7月13日開店[24]、店舗面積約1,096m2[2]。
- 1969年(昭和44年)7月29日開店[25]、店舗面積約1,067m2[1]。
- 1977年(昭和52年)12月開店[1]、店舗面積約1,035m2[1]。
- 1980年(昭和55年)2月開店[1]、店舗面積約1,000m2[1]。
- (現、ツルハドラッグ 大野店)
- 1994年(平成6年)6月開店[11]、店舗面積約315m2[11]。
- 1980年(昭和55年)10月開店[2][14]、店舗面積約443m2[2] → 895m2[14]。
- 1982年(昭和57年)7月開店[1]、店舗面積約488m2[1]。
- 1984年(昭和59年)4月開店[2][14]、店舗面積約1,218m2[2][14]。
- 1986年(昭和61年)7月開店[2][14]、店舗面積約496m2[2][14]。
- 1989年(平成元年)6月開店[11]、店舗面積約264m2[11]。
- 1998年(平成10年)3月開店[14]、店舗面積約234m2[14]。
- ジョイフルシティみなみ東バイパス店 - 青森市八重田露草4-2-10[15]。
- 1990年(平成2年)4月開店[14][15]、店舗面積約12,645m2[15]、延べ床面積約18,354m2[15]。
- 1972年(昭和47年)12月開店[1]、店舗面積約446m2[1]。
- 1975年(昭和50年)4月26日開店[28]。
- 店舗面積約890m2[28]。
弘前市
- 1979年(昭和54年)8月開店[1]、店舗面積約1,445m2[1]
- (現、スーパー佐藤長 下町店)。
- 1993年(平成5年)12月開店[11]、店舗面積約567m2[11](現、ゲオ新町店)
- 1981年(昭和56年)4月開店[1]、店舗面積約1,089m2[1] → 2,473m2[14]
- (現、スーパー佐藤長 城東店)。
- 1982年(昭和57年)12月開店[1]、店舗面積約505m2[1] → 993m2[14]。
- 1983年(昭和58年)3月開店[2]、店舗面積約311m2[2]。
- 1996年(平成8年)3月開店[14]、店舗面積約1,449m2[14]。
- 1989年(平成元年)3月開店[11]、店舗面積約496m2[11]。
- 1982年(昭和57年)11月開店[1]、店舗面積約508m2[1]。
五所川原市
- 1984年(昭和59年)12月開店[2]、店舗面積約496m2[2]。
- 1984年(昭和59年)11月開店[2][11]、店舗面積約496m2[2] → 約992m2[11]。
- 1987年(昭和62年)12月開店[2]、店舗面積約498m2[2]。
黒石市
- 1975年(昭和50年)10月開店[2] - 1991年(平成3年)4月13日閉店[29]、店舗面積約2,460m2[2]。
北・南津軽郡
- 1976年(昭和51年)12月開店[2][14]、店舗面積約1,465m2[2][14]。
- 1985年(昭和60年)6月開店[2]、店舗面積約496m2[2]。
- 1992年(平成4年)8月開店[11]、店舗面積約564m2[11]。
むつ市
- 1998年(平成10年)4月開店[14]、店舗面積約1,489m2[14]。
- 「ウエルマートむつ中央店」の跡に居抜きして同店を開業。
- 同店の閉鎖後マックスバリュ東北[注釈 1] → 佐藤長が居抜きで出店していたが、2024年6月にドン・キホーテがオープンした。
上北郡
- 1999年(平成11年)3月開店[14]、店舗面積約5,431m2[14]。
- 閉鎖後マックスバリュ野辺地店として営業
十和田市
- 1972年(昭和47年)12月開店[1]、店舗面積約6,407m2[1]。
- 進出と同時に中央商店街は延長1kmのアーケード街となり、開店から約半年後に松木屋が進出した[22]。
- 2000年に一度閉店するが、地元からの要請で1階部分のみで営業を再開。2001年の経営破綻後、再建策の一環で閉鎖。
- 建物は数年間空き店舗として放置されていたが2006年に解体。解体後もしばらくの間はそのままの状態であったが、2022年4月にバスターミナル「十和田市まちなか交通広場」がオープンした。
- 1978年(昭和53年)7月開店[30]、店舗面積約962m2[30]。
- 閉店後マックスバリュ北園店として営業。
- 大学通り店 → K・バリュー大学通り店 - 十和田市[2]。
- 1983年(昭和58年)9月開店[2][14]、店舗面積約496m2[2]。
- 1990年代後半に閉鎖。建物は破産後も放置されていたが、2003年頃に取り壊され、薬王堂十和田東店が開店。
- 1988年(昭和63年)8月開店[11]、店舗面積約499m2[11][14]。
- 1994年(平成6年)12月開店[11]、店舗面積約250m2[11]。
- BUZZ開店時に同時に出店したゲオ(出店時は東和エンタープライズ)がBUZZ閉店後に増床し、現在はゲオ十和田千歳森店として現存[要出典]。
三沢市
- 1970年(昭和45年)9月18日開店[31]、店舗面積約2,476m2[1]。
- 1990年代後半に閉鎖され、一時期タケダスポーツが出店していた時期があった。
- 1988年(昭和63年)4月開店[14]、店舗面積約1,550m2[14]。
- 閉鎖後よこまちストア三沢店として営業。
三戸郡
- 1977年(昭和52年)11月開店[2][14]、店舗面積約1,048m2[2] → 1,499m2[14]。
- 閉鎖後、マックスバリュ五戸店となったがこちらも閉店済。
八戸市
- 上組店 - 八戸市糠塚字枡形18-2[4]、店舗面積約450m2[1]。
- 下組店 - 八戸市下組町48-1[4]、店舗面積約200坪[4]。
- 多賀台店 - 八戸市多賀台1-15[4]、店舗面積約250坪[4]。
- 吹上店 - 八戸市大字中居林字吹上206[4]。
- 1972年(昭和47年)12月開店[1]、店舗面積約457m2[1]。
- 旭ヶ丘店 - 八戸市新井田字小久保尻1-67[4]。
- 1976年(昭和51年)7月開店[1]、店舗面積約468m2[1]。
- 1978年(昭和53年)12月開店[1]、店舗面積約1,096m2[1]。
- マックスバリュ東北へ営業譲渡され、2002年(平成14年)3月9日に新装開店した[33]。
- 1986年(昭和61年)5月開店[2]、店舗面積約496m2[2]。
- 1987年(昭和62年)3月開店[14]、店舗面積約496m2[2] → 999m2[14]。
過去に存在した関連会社
*総合メンテナンスサービス
店舗清掃、ビルメンテナンス
- 1964年(昭和39年)6月設立[34]。外商・卸[34]。
- 青森県青森市卸町2-17[35]
- 1969年(昭和44年)4月設立[2]。共同仕入[2]。
- 1971年(昭和46年)8月設立[34]。インテリア用品[34]。
- 1973年(昭和48年)1月設立[34]。百貨店[34]。
- 1973年(昭和48年)4月設立[34]。スポーツ用品[34]。
- 1974年(昭和49年)5月設立[34]。家電販売[34]。
- 1975年(昭和50年)3月設立[34]。外食産業[34]。
- 1984年(昭和59年)3月設立[2]。食品卸売業[2]。
- 1986年(昭和61年)4月11日設立[12]。
- サークルケイ・ジャパンの東北地区エリアフランチャイズ本部[21]。
- 当社の破たん後もサークルケイ・ジャパンの支援を受けながら事業継続を目指したが断念[21]。
- 2003年(平成15年)3月1日にエリアフランチャイズ契約を双方の合意の上で解約し、サークルケイ・ジャパンの「シーケイ東北」が店舗や本部従業員を継承した[21]。
- 1987年(昭和62年)5月設立[2]。情報処理ソフト・ハード販売[2]。
旧亀屋の店舗を譲り受けた主な企業
脚注
注釈
- ^ マックスバリュ東北は青森県内のウエルマートも運営していたが、ウエルマート閉店時は青森ウエルマート→ジャスコ(当時)による運営だったため、運営元がウエルマート閉店時の法人に戻った訳ではない。
- ^ 閉店当時の住所は八戸市下長[11] 4丁目10番11号[32](1986年に下長地区の住居表示を実施し、この住所になった)。
出典
広報資料・プレスリリースなど一次資料