久留島通簡久留島 通簡(くるしま みちひろ、旧字で通𥳑[1]、安政6年10月14日(1859年11月18日) - 大正8年(1919年)10月21日[2])は、豊後国森藩の第12代(最後の)藩主久留島通靖の弟で、華族、貴族院議員。子爵。妹に千勢子(伊東祐麿室)。室は中山信徴の娘で、継室は中山信徴の次女銚子。子に久留島徴一(長男、廃嫡)、久留島健三郎(三男)。 第11代藩主・久留島通胤の次男として生まれる。明治12年(1879年)3月、兄通靖の死去により家督を継いだ。同年12月に従五位となり、明治17年(1884年)7月8日に子爵を叙爵[3]。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に当選する[2]。以後、亡くなるまで連続して当選した[2][4]。 栄典脚注参考文献
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