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久我通宣 (鎌倉時代)
この項目では、南北朝時代の
公卿
について説明しています。
久我家
13代当主については「
久我通宣
」をご覧ください。
凡例
久我通宣
時代
鎌倉時代
後期 -
南北朝時代
生誕
永仁
4年(
1296年
)
死没
観応
3年
2月26日
(
1352年
3月12日
)
官位
正三位
・
参議
主君
伏見天皇
→
後伏見天皇
→
後二条天皇
→
花園天皇
→
後醍醐天皇
→
光厳天皇
→
光明天皇
→
崇光天皇
氏族
久我家
父母
父:
久我通基
兄弟
通雄
、
通嗣
、
通村
、
通任
、
通宣
、
敦通
、道雅
テンプレートを表示
久我 通宣
(こが みちのぶ)は、
鎌倉時代
後期から
南北朝時代
にかけての
公卿
。
内大臣
・
久我通基
の子。
官位
は
正三位
・
参議
。
経歴
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
永仁
7年(
1299年
)1月5日、叙爵。
文保
元年(
1317年
)3月27日、
侍従
に任ぜられる。
元応
元年(
1319年
)8月21日、
従五位上
に昇叙。
元応3年(
1321年
)1月5日、
正五位下
に昇叙。
元亨
2年(
1322年
)12月2日、
右少将
に任ぜられる。
元亨4年(
1324年
)3月14日、
従四位下
に昇叙。同日、右少将は元の如し。
正中
2年(
1325年
)1月27日、加賀介を兼ねる。
嘉暦
2年(
1327年
)3月24日、従四位上に昇叙。
嘉暦4年(
1329年
)2月12日、右中将に転任。
元徳
元年(
1329年
)12月8日、
正四位下
に昇叙。
元徳2年(
1330年
)2月26日、
参議
に任ぜられる。3月1日には改めて右中将に任ぜられる。4月7日、参議を辞退し
従三位
に叙される。
建武
元年(
1334年
)11月8日、
正三位
に昇叙。
観応
3年(
1352年
)2月26日、薨去。
参考文献
『
公卿補任
』(新訂増補国史大系)
吉川弘文館
黒板勝美
、国史大系編集会(編) ※
元徳
2年(
1330年
)に通宣が
参議
となった時以降の記事。
『
尊卑分脈
』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「久我通宣」および「
久我通基
」の項。