久世(くせ)は、岡山県真庭市(旧久世町)にある大字である。同市の市役所所在地であり、旧久世町役場所在地。かつての大庭郡久世村に相当する。
近世においては、一時期徳川幕府の代官所(久世代官所、または久世陣屋)が設置され、その陣屋町として栄えた。 また、出雲往来の宿場町としても繁栄し、本陣が置かれていた。
郵便番号は719-3201(久世郵便局管区)。人口は3513人(男性1649人、女性1864人)。世帯数は1371世帯(2014年5月現在)[1]。
概要
真庭市の東南部にある歴史の古い町で、旭川の左岸に町並が続き、役場・郵便局・中央公民館など公的機関が集中する。真庭地方では勝山と並んで古くから行政面での中枢地域であり、真庭郡以前の大庭郡時代は、郡内の中枢であった。江戸時代には、出雲街道の宿場、天領の久世代官所の陣屋町として栄え、古い家並みが一部今も残る[3][4]。
久世神社、朝日神社、真言宗吉祥寺、同長福寺、同重願寺、日蓮宗興善寺などの社寺があり、また出雲の松平家が参勤交替の途次宿泊した本陣の跡、寺畑山城跡、典学館跡もある。久世代官所跡が、重願寺境内にある[3]。
沿革
歴史
古代においては、『和名類聚抄』に載る美作国大庭郡の久世郷の一部であったとされ、地名は郷名の遺称とされる[3]。
近世には久世村と称した。古くは久世村は、山寄りの「山方」と旭川寄りの「原方」に分かれていた。久世など大庭・真島郡などは、美作中心部にあたる現在の津山市街から見て、より山奥にあたったので、通称「山中」(さんちゅう)という地方名で呼ばれることもあった[3]。
久世村は、宇喜多氏、小早川氏の所領を経て、慶長8年(1603年)に津山藩主森忠政の所領に移る。久世では牛馬市が行われ、慶長9年からはじまり、盛期には3万頭の入場記録をつくった。元禄10年、森氏が断絶。その翌年、松平宣富が新たに津山藩主となり、久世村も支配した[3]。
享保11年(1726年)、凶作のうえ、津山藩が年貢米の収納期を早めたため、大庭・真島両郡の農民は久世に会合して百姓一揆を起こした。この一揆はのちに「山中一揆」(さんちゅういっき)と呼ばれるようになった。これを受けて、翌12年、津山藩は10万石から5万石に削減され、さらに久世地方は江戸幕府の直轄領となり、久世に代官所(久世代官所。久世陣屋とも)を置いて領地を支配させた。代々の代官中、早川八郎左衛門正紀は農耕と養蚕の振興に努力し、久世を美作西部の政治経済の中心地として繁栄に導いた[3]。
文化14年、津山藩がもとの10万石に復したので、久世村原方、同山方とも津山領に戻り明治に至る[3]。
明治5年8月、久世村原方・同山方を合併して単一の久世村とする。同22年6月1日の町村制施行にあたり大庭郡久世・中島・多田・鍋屋・三坂・山久世の6村が合併して大庭郡久世村をつくる。同29年2月、町制を実施し久世町、同33年4月1日、大庭・真島2郡が合併して真庭郡となる。翌34年4月、山久世を分離して一宮村(のち勝山町)に編入、同37年6月1日、同郡川南村と合併して大きくなり、さらに昭和30年4月29日 に同郡美和村と合併[3]。
平成17年3月31日、真庭郡久世町・勝山町・落合町・湯原町・美甘村・川上村・八束村・中和村および備中国側となる上房郡北房町の5町4村が対等合併し、真庭市を新設。
地名の由来
古くからの日本語で、湾曲していることを「曲」(くせ)というが、当地で旭川の流路が大きく湾曲し、その周辺地域を「くせ」と呼ぶようになり、久世の表記が当てられるようになったとされる。
また、当地東部で旭川に目木川が合流しており、また、古くから出雲街道の渡し場であったことから、「古瀬」(こせ)と称したが、久瀬に変化し、久世の字を用いるようになったという説もある[3]。
さらに、古い言葉で、岩の多い浅瀬や川原を「曲瀬」(くせ)と呼んだことから、これに由来しているともいわれる。
いずれの説も、河川(旭川)の地形に由来しているのは共通である。
年表
久世地区の出来事
年月日 |
出来事 |
備考
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慶長8年 |
津山藩主森氏の所領となる。 |
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慶長9年 |
牛馬市がはじまる。 |
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元禄10年 |
津山藩主森家が断絶となる。 |
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元禄10年 |
松平氏が新たな津山藩主となる。 |
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享保11年 |
山中一揆が勃発する。 |
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享保12年 |
徳川幕府直轄領となり、久世代官所が設営される。 |
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文化14年 |
再び津山藩領となる。 |
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明治5年8月 |
大庭郡久世村原方・同山方を合併して同郡久世村とする。 |
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明治22年6月1日 |
町村制施行により、大庭郡久世・中島・多田・鍋屋・三坂・山久世の6村が合併して大庭郡久世村を新設。同村の大字久世となり、役場が設置される。 |
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明治29年2月 |
町制へ移行し、久世町へ改称。 |
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明治33年4月1日 |
大庭郡・真島郡が統合されて真庭郡となる。 |
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明治34年4月 |
山久世を久米町より分離して、一宮村(のち勝山町)へ編入。 |
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明治37年6月1日 |
真庭郡川南村を編入合併。 |
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昭和30年4月29日 |
真庭郡美和村を編入合併。 |
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平成17年3月31日 |
真庭郡久世町・勝山町・落合町・湯原町・美甘村・川上村・八束村・中和村および備中国側となる上房郡北房町の5町4村が対等合併し、真庭市を新設。旧久世町役場は同市役所久世支局となる。 |
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平成23年4月1日 |
久世支局敷地に市役所新庁舎が完成し、勝山から同所に市役所本庁舎が移転。同時に久世支局は廃止となる。 |
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地勢
- 山岳
- 河川
文化・祭り
- 久世祭り
- 作州久世ぼっこう祭
- まにワッショイ(有志団体)
主要施設
公的施設
教育施設
医療・福祉施設
郵便局・金融機関
一般企業・商店
寺社等
神社仏閣・その他宗教施設
史跡
交通
道路
久世は勝山と並び交通の要衝であり、多くの国道・県道が交差、分岐している。
鉄道
参考文献
- 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
- 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
- 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』山陽新聞社(1979年)
- 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』平凡社(1981年)
- 地域別構想-真庭市 PDF版(2013年12月閲覧)
脚注
外部リンク
関連項目