久世長宣

久世 長宣(くぜ ながのぶ、天文9年(1540年) - 永禄6年11月21日1563年12月6日))は、戦国時代武将。通称平四郎久世広宣の父[1]

略歴

久世広長の次男[1]永禄6年三河一向一揆松平家康に背き、11月21日に三河国針崎において討死した[2]。享年24。

法名浄泉。妻は小笠原長隆の娘で後妻は内藤正広の娘。

脚注

  1. ^ a b 続群書類従完成会 1965, p. 6.
  2. ^ 久世長宣」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E4%B9%85%E4%B8%96%E9%95%B7%E5%AE%A3コトバンクより2022年10月16日閲覧 

参考文献

  • 堀田正敦等 編『寛政重修諸家譜第8』(新訂)続群書類従完成会、1965年。全国書誌番号:65001715 

外部リンク