丹下乾三
丹下 乾三(たんげ けんぞう、1888年(明治21年)6月5日 - 1952年(昭和27年)11月8日)は、広島県出身の農業技術者、政治家[1]。 来歴甲奴郡清岳村(現・府中市上下町)生まれ[1][2]。1906年(明治39年)3月岡山県立農学校獣医科(現・岡山県立高松農業高等学校)を卒業[1]。 甲奴郡技手を経て[1]、1912年(明治45年)6月神石郡技手、のち神石郡畜産組合技師、広島県農林技師などを歴任する[2]。 1931年(昭和6年)広島県会議員となり、1935年(昭和10年)まで務めた[2]。 1935年6月神石郡農会長に就任、1938年(昭和13年)神石郡畜産組合長に就任する[2]。技師時代からほぼ神石郡の畜産、特に神石牛発展に貢献、種牡牛の育成や家畜技術の指導などに貢献した[1][2]。農会長時代は食糧増産にも貢献している[2]。 脚注関連項目 |