丸山八束
丸山 八束(まるやま やつか、1890年(明治23年)1月15日[1] - 1953年(昭和28年)12月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴1890年(明治23年)に長野県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1939年(昭和14年)12月に野戦重砲兵第17連隊(東部軍砲兵隊)に就任し[1][2]、1940年(昭和15年)3月に陸軍砲兵大佐に進級[2]。1944年(昭和19年)3月1日に船浮要塞司令官に転じ[3]、5月8日に舞鶴要塞司令官を経て[2]、10月19日に朝鮮軍兵器部長に着任[2]。1945年(昭和20年)1月29日に朝鮮軍管区兵器部長兼第17方面軍兵器部長となり[4]、6月10日に陸軍少将に進級[2]、終戦を迎えた[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 脚注
参考文献
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