中野 純子(なかの じゅんこ、1967年(昭和42年)2月8日[1] - 2012年(平成24年)7月28日[3][4][5])は、日本の女性漫画家。兵庫県神戸市出身[1][2]。
来歴
高校在学中の1984年(昭和59年)に「しーするう♥だありんぐ」が『月刊セブンティーン』(集英社)に掲載され漫画家としてデビュー[1][2]。同年中に大学受験のため執筆活動を一時中断するが、大学合格後に執筆活動を再開する[2]。
1986年(昭和61年)に『月刊セブンティーン』が休刊となり、『ヤングユー』(集英社)へと移籍[2]。1988年(昭和63年)に大学を卒業し、以降漫画家専業となる[2]。
1997年(平成9年)、ヤングジャンプ増刊『漫革』(集英社)に「神様だけが知っている」を掲載して青年誌へと活動の場を移し、翌年の1998年(平成10年)より『週刊ヤングジャンプ』で「B-SHOCK!」の連載を開始[2]。2001年(平成13年)以降は、「ちさ×ポン」・「ヘタコイ」と月一連載の形で同誌での作品発表を続けた。
2011年(平成23年)に「ヘタコイ」の連載を終了し、翌年に同作の番外編となる「イロコイ」を短期集中連載。その後次作の構想を練っていたが、2012年(平成24年)7月28日に虚血性心疾患で急逝[3][4][5]。45歳没[3][4][5]。
作品リスト
漫画作品
[2]
- しーするう♥だありんぐ(『月刊セブンティーン』1984年3月大増刊号)
- 市川くんにはっぴいばーすでい(『月刊セブンティーン』)
- あぶのーまるえんじぇる(『月刊セブンティーン』1985年6月号)
- That's Michel!(『ヤングユー』1987年6月号 - )
- IMOSEな関係(『ヤングユー』1988年4月号 - )
- 盛春少年(『ヤングユー』1990年3月号 - )
- 劇団ヒバリ(『ヤングユー』1990年9月号 - )
- Fools'(『ヤングユー』1991年4月号 - 別冊ヤングユー'93 SPRING)
- 乙女アルバム(『ヤングユー』1992年10月号 - )
- 僕のたからもの(『別冊ヤングユー』1994年 SPRING - )
- アタシに愛を!(ヤングユー)
- 神様だけが知っている(『漫革』vol.12)
- B-SHOCK!【読切版】(『漫革』1998年6月5日号)連載版のプロトタイプで同単行本の4巻に収録。
- B-SHOCK!【連載版】(『週刊ヤングジャンプ』1997年52号 - 2000年4・5合併号)
- 夏の海で砂浜にふたりでしかも夜(『週刊ヤングジャンプ』2000年36号)「ちさ×ポン」第1話として同作の単行本に収録。
- 親の留守にオレの部屋で彼女とふたりきりで(『別冊ヤングジャンプ』2001年5/5号)「ちさ×ポン」第2話として同作の単行本に収録。
- じらして期待させて喜ばせて(『週刊ヤングジャンプ』2001年26号)「ちさ×ポン」第3話として同作の単行本に収録。
- ちさ×ポン(『週刊ヤングジャンプ』2001年48号 - 2006年4・5合併号)
- カタコイ(『漫革』vol.53)「ヘタコイ」の前日譚で同作の5巻に収録。
- ヘタコイ(『週刊ヤングジャンプ』2007年8号 - 2011年46号)
- イロコイ(『週刊ヤングジャンプ』2012年10号 - 2012年12号)「ヘタコイ」の番外編で同作の10巻に収録。
- Say,good-bye (短編集傑作選)全3巻
- 「アタシに愛を!」「10月のヒロイン」「盛春少年No.1~4」「有千花」「Say,good-bye」
- 「君を攫いたい」「乙女アルバムVol.1」
- 「乙女アルバムVol.2~4」
単行本
[6]
いずれも集英社刊。
- 本一覧は各列でソートが行える。デフォルトでの表記は(第1巻の)発売順を原則とし、再出版については初出時のものとまとめた。
- 最左列は便宜上の通し番号であり、意味を持たない。他列でのソート後にデフォルト状態に戻すのに使用する。
脚注