中枢院 (李氏朝鮮)
中枢院(ちゅうすういん、チュンチュウォン)は、朝鮮において、高麗から李氏朝鮮初期に置かれた官衙。王命の出納、兵機、宿衛、警備などを行った。朝鮮中期以降は有名無実化して実務がなくなり、職務を持たない文武官を優遇した。正一品衙門。 991年(成宗10年)、宋に使臣として遣わされた兵官侍郎の韓彦恭が、宋の枢密院の制度を参考に提案して創設された。1009年(顕宗元年)に権臣康兆によって廃止され、仮に中台省が設置されたが彼の死後は再び戻った。 1400年(定宗2年)、三軍府を統合させて承枢府としたが、1405年の官制改革により、王命の出納などの機能は承政院として独立させられ、軍権は兵曹の管轄になるなどして承枢府はその実権を失った。1466年(世祖12年)、中枢府に改称された。 構成
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