世界メシア教世界メシア教とは、大本の幹部だった岡田茂吉(尊称:明主様)が1935年(昭和10年)に立教した大日本観音会を起源とする宗教団体。 概要世界メシア教は、教祖である岡田茂吉が1950年(昭和25年)に宗教団体名を世界救世(メシア)教に改称し、キリスト教と呼応して人類の善導と救済に努めていくことを宣言したことに基づき、岡田茂吉の孫の四代教主・岡田陽一と、その子息で教主代行・教主後継者である岡田真明のもと、活動を行っている。活動は「キリスト教の完成版」というスローガンのもと、祈りによる心の救い、和ヴィーガン食(和菜食)の実践、音楽活動による人心の癒しという「祈り、食、音楽」を3つの柱としている[1]。 歴史岡田茂吉は1882(昭和10年)年12月23日、東京都台東区橋場に誕生。幼少の頃より病弱で、画家を志して東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学したが、眼病のために退学。胸膜炎や肺結核などさまざまな病気を経験し、一時は命も危ぶんだが、菜食を実践し一命をとりとめた。 その後、小間物小売商「光琳堂」を開業。後に装身具卸売商「岡田商店」として事業を拡張して実業家として成功を収めるも、家族を亡くし、世界恐慌で事業も大打撃を受けるなど相次ぐ苦難に見舞われた。信仰を求めて大本に入信したが脱会し、神示を受け、1935年1月1日に大日本観音会を立教。1950年(昭和25年)2月4日に世界救世(メシア)教を開教し、キリスト教と呼応して人類の善導と救済、地上天国建設に努めていくことを機関紙で宣言した。 1954年4月19日、脳溢血で倒れる。6月5日には「メシア降誕と言ってね、メシアが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないですね。新しく生まれるわけですね」と述べ、自身がメシアとして新しく生まれたことを示した。同年6月15日にメシア降誕仮祝典を斎行。翌年1955年2月10日に他界した。 岡田茂吉が他界後の1957年(昭和32年)、教団の名称が世界救世(きゅうせい)教に変更されたが、2020年(令和2年)2月4日、世界救世教主之光教団が「世界メシア教」を宗教団体名に復活させた。 第1次分裂昭和57年頃から教団内部で、当時の管長の地位確認訴訟などが起き、最終的に、包括法人世界救世教のもと、世界救世教主之光教団(現在の世界メシア教)、東方之光(MOA)、世界救世教いづのめ教団の3つの被包括法人に分裂した。この背景には、当時三代教主であった岡田斎をめぐり、教主を中心とした活動を願うグループと、教団執行部を中心とした活動を進めていきたいグループとの確執があった。 第2次分裂2017年(平成29年)9月12日の世界救世教責任役員会において、当時四代教主だった岡田陽一の東京都内での行動を、被包括法人東方之光(MOA)が尾行・盗聴・盗撮し、岡田陽一夫妻がキリスト教徒の知人と東京で毎週会い、キリスト教の学びをしている様子を公表。その後映像を信徒に公開し、世界救世教のホームページに掲載したほか、週刊誌などのマスコミに流出させた。これをきっかけに、岡田陽一を支持する世界救世教主之光教団(世界メシア教)と、世界救世教の長澤好之を支持する東方之光(MOA)といづのめ教団に分裂した[2]。 世界救世教は2018年(平成30年)1月30日、責任役員会において緊急動議として、責任役員4名(小林昌義、長澤好之、入江光生、森富士夫)が、代表役員である仲泊弘を退席させ、その代わりとして東方之光の横山茂弘を仮責任役員とし、その5名により、世界救世教主之光教団に対する包括・被包括関係を廃止するとの採決を行った[3]。 2018年(平成30年)5月22日、東方之光の長澤好之氏の名前で、教主後継者だった岡田真明宛に5月21日付の「懲戒処分並びに解雇通知書」が届く[4]。 2018年(平成30年)7月1日、箱根・光明神殿と熱海・救世会館における祭典において、東方之光(MOA)及びいづのめ教団が、四代教主の岡田陽一の推戴取り消しを発表[5]。岡田茂吉と血縁関係のない、東海大学名誉教授でヒンドゥー教学者の渡瀬信之氏を五代教主として推戴し、岡田信之と称する。 和解世界救世教主之光教団(世界メシア教)は、【包括管長地位確認(長澤好之氏が世界救世教代表役員の地位になく、仲泊弘氏が代表役員の地位にあること】【世界救世教主之光教団の包括・被包括関係解消の無効】の仮処分および本訴を、静岡地方裁判所沼津支部に提訴。仮処分は最高裁において認められなかった。本訴は第一審で棄却となり、その後世界救世教主之光教団は東京高等裁判所に控訴した。東京高等裁判所では、裁判官より、一審の判決に疑義があることが示され、一審の判決を維持するのではなく、双方に対して和解による解決の提案があった。和解をしない場合、一審の判決は維持されず、宗教上の争いであるため司法判断を下せないとして「却下」となるとの方向性が示された。被告と原告は協議を重ねた結果、2024年12月24日に和解合意。【世界救世教主之光教団(世界メシア教)に対し、解決金として13億円を支払うこと】【世界救世教から主之光教団(世界メシア教)に分与された物件は世界救世教に返還する必要がないこと】【主之光教団(世界メシア教)は、熱海本部5階および教主公邸を世界救世教に明け渡すこと】などが決定された。この結果、世界メシア教と世界救世教の包括・被包括関係の解消が正式のものとなった[6]。 祭神主神(すしん ヤハウェ/エホバ) 歴代教主
岡田茂吉のひ孫の岡田真明が教主代行・教主後継者として就位[7]。 世界観世界救世教は、教祖の岡田茂吉を唯一のメシアとして位置づけ、他の宗教的解釈(特にキリスト教のメシア観)を否定的にとらえている。一方で世界メシア教は、岡田茂吉のメシア性を認めながらも、イエス・キリストのメシア性も認め、それだけではなく人類全体がメシア性を持つという普遍的な考え方を含む教義を展開している。 キリスト教がメシアの到来、キリストの再臨を待ち望む伝統的な宗教観を持っているのに対し、世界メシア教では、すでにメシアは一人ひとりの心にすでに到来したことを説いており、これがキリスト教との大きな違いの一つである。 浄霊世界救世教では、手かざしの浄霊によるヒーリングや岡田式浄化療法を行っているが、世界メシア教ではこうした行為は行っていない。その理由として、岡田茂吉が最晩年に浄霊は二の問題であること、これから想念の世界であること、また、想念による新しい浄霊を発見した、などのことを繰り返し述べたことを重要視しており、念じること、即ち、祈りが最も大切だと説いている[8]。 ヴィーガン食世界メシア教では、岡田茂吉の下記言動をもとにヴィーガン食を推進している[9]。
自然農法岡田茂吉は、日本で無農薬有機農法が注目されるはるか以前である昭和20年代より、自然農法という名称で、独自の無農薬農法を研究、実践、推進してきた。 世界メシア教では自然農法の基準を、無農薬、無肥料、EM不使用、無ふん尿(人間、動物ともに)、F1ではない固定種または在来種の種を使用し、堆肥は落ち葉などの自然からのものとすると定めている[10]。 音楽『コーラス・メシア』という名称で、数々のチャリティーコンサートを行っている。 2023年8月27日、大阪市中央公会堂で「コーラス・メシア チャリティーコンサート2023 in Osaka」を開催。来場者から集まった募金と、コンサートの収益を全額、日本赤十字社に寄付[11]。 2023年10月20日、愛知県瀬戸少年院で慰問コンサートを実施[12]。 2022年12月22日、伊豆山復興クリスマスチャリティーコンサート熱海市の起雲閣にて開催。伊豆山地区の土石流災害の被災者を無料招待し、一般入場料の全額を熱海市に寄付[13]。 2024年11月26日、児童養護施設「遙学園」大阪水上隣保館 ゆりの礼拝堂にてコンサートを開催。
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