世尊寺経朝
世尊寺 経朝(せそんじ つねとも)は、鎌倉時代中期の公卿・能書家・歌人。権中納言・広橋頼資の子で、世尊寺行能の養子。官位は正三位・左京権大夫。世尊寺家の第9代目当主。 経歴貞永元年(1232年)8月21日、摂津守に任じられる。文暦2年(1235年)正月23日、住吉大社での何らかの功により、従五位上に昇叙。延応元年(1239年)正月27日、正五位下に昇叙。(菅原在頼の後任と思われる)仁治2年(1241年)7月17日、従四位下に昇叙。翌年の11月6日、左京権大夫に任じられる。寛元3年(1245年)6月22日、淡路守に任じられる。宝治2年(1248年)正月6日、従四位上に昇叙。建長7年正月5日、正四位下に昇叙(曦子内親王に給与された)。弘長元年(1261年)9月26日、従三位に昇叙。文永6年(1269年)3月27日、正三位に昇叙。 建治2年(1276年)2月2日、美濃国にて亡くなる。 建治元年(1275年)に世尊寺家の書法に関する秘伝28条を簡単に記した書である「心底抄」を書いて安達泰盛に与えた 参考文献 |