上の山遺跡(うえのやまいせき)はかつて神奈川県横浜市都筑区仲町台(調査当時は緑区大熊町)にあった、旧石器時代から古墳時代(上の山古墳群)、奈良・平安時代、中世の遺構などからなる複合遺跡。港北ニュータウン遺跡群の1つ。
概要
150 m
大熊仲町遺跡
上台の山遺跡
中世墓
4号墳
3号墳
2号墳
1号墳
上の山遺跡
市の『横浜市文化財地図』、行政地図情報システムによりおおよその中心位置復元
[2]
立地
鶴見川の支流・大熊川の形成した谷戸(大熊谷戸)に面する標高40mほどの仲町台の台地から、南向きに張り出す尾根筋と、その西側に入り込む小支谷の範囲を、当遺跡範囲とする。この南向きに張り出す尾根筋の北側は、台地に接続し、大熊仲町遺跡(おおくまなかまちいせき)という別の遺跡が隣接して広がる。また尾根筋西側の小支谷のさらに西側にある尾根は上台の山遺跡(うえだいのやまいせき)という遺跡となっている。
調査の背景
現在の都筑区(かつては緑区・港北区)地域は、かつては多摩丘陵の一角として丘陵(森林)と谷戸(田畑)の広がる典型的な里山であった。1965年(昭和40年)に発表された港北ニュータウン事業は、この里山地帯を30万人規模の一大住宅地に改造する都市計画であり、この未曾有の開発工事によって、開発区域内に広がる268箇所もの周知の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)のうち、200箇所以上が1970年(昭和45年)から1989年(平成元年)まで、約20年かけて発掘調査されることとなった(港北ニュータウン遺跡群)。上の山遺跡はこの過程で、1988年(昭和63年)10月20日から1989年(平成元年)6月7日にかけて発掘調査された。現在は尾根が削平され、住宅地となっている[7]。
調査結果
南向き尾根筋・および西側の谷戸内のエリア約16500㎡が調査され、旧石器時代のナイフ形石器などの遺物集中1箇所、縄文時代中期の竪穴建物1軒、埋め甕1基、古墳時代の古墳群4基・横穴墓2基、古墳時代から奈良時代ごろと見られる道路状の溝2条、奈良・平安時代の竪穴建物3軒、平安時代の土坑墓2基、平安時代~中世の道路状溝2条、中世の火葬墓地2箇所、中世~近世の土坑が検出された。
古墳群は、5世紀末~6世紀初頭の築造とみられ、円墳3基・方墳1基の4基・横穴墓2基からなる(上の山古墳群参照)。道状の溝は、谷戸の底から尾根筋や台地上に昇るルートが複数確認された。
中世の火葬墓は、尾根筋の古墳時代の古墳群脇に1箇所と、尾根筋末端から南西に降る斜面地の中腹に1箇所造られており、後者は、斜面を段切りした平場に40基以上の墓壙を掘り、五輪塔や板碑を伴っていた。年代は14世紀後半~15世紀後半とみられ、この時期の葬送行為に関する実例として貴重な発見となった。
脚注
参考文献
関連項目
座標: 北緯35度31分52.5秒 東経139度35分42.5秒 / 北緯35.531250度 東経139.595139度 / 35.531250; 139.595139
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分野 |
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研究方法 | |
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考古資料 | |
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遺跡の保護と活用 | |
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