三門峡ダム (さんもんきょうダム)は、中華人民共和国 の黄河 中流域、河南省 と山西省 の境界[ 1] の三門峡 の渓谷にある重力式コンクリートダム である。
このダムは多目的であり、灌漑や水力発電、水運に加えて、洪水と氷雪の調整のために建設された。工事は1957年 に始まり、1960年 に完了した。このダム事業は、中華人民共和国における最初の黄河の治水 事業であり、一大成果とみなされていた。さらに、このダムは中国の紙幣 に印刷された。
しかし、溜まり続ける貯水池 の堆積物 により、後々に、ダムを再設計して改修しなければならなかった。堆積物の影響で、上流域での洪水 などが起き、ダムは論争の中心となり、政府当局による批判者の逮捕にまで至った。
歴史
何世紀にも及ぶ黄河の洪水に対応する中で、1935年初頭に技術者により最初の三門峡ダムが提案された[ 2] 。1954年に黄河計画委員会が設立され、ソビエト連邦 の技術者の支援の下で川の調査を監督した。ソ連の技術者は三門峡地域にダムを作ることを勧めた。ダムの原案では、貯水池に対し海抜 360mもの最大水位が要求されていた。これにより870,000人の立ち退きと3,500km2 の浸水を要求されていた。設計は海抜 340mの最大水位に修正され、立ち退き要求は400,000人になり、浸水地域はより小さくなった[ 3] 。
1955年に、包括的な河川流域計画報告書によりダム事業が公式に提案された。報告書は全国人民代表大会 に提出され、その年に速やかに承認され、すぐに予備工事が開始された。ソ連の監督下で、工事は厳かに1957年4月13日に開始した。左岸の囲い堰 工事は6月に始まり、発掘は左岸の基礎注入と共に1年後に終わった。1958年10月に、右岸の囲い堰工事が始まり、11月に川が閉鎖された。1960年6月に貯水池が満杯になり、1961年4月にダムの頂上は設計標高353m(海抜)に達した[ 2] [ 4] [ 5] 。
ダムの発電機は1973年から1975年の間に試運転された[ 6] 。ダムは、黄河における最初の治水事業であり肉体労働で建設された。ダムが完成すると、新たな共和国の工学的な成功として歓迎され、国の紙幣に印刷された[ 7] [ 8] [ 9] 。
堆積物と改修
ダムの下流面(2007年)
ところが、完成してすぐに、堆積物の蓄積によりダムの利益が脅かされることになった[ 2] [ 3] 。黄河は世界中のどの河川よりも多く堆積物を運んでいる。ゆえに、川の閉鎖から18ヶ月で、18億トンもの堆積物がダムの貯水池に蓄積した。堆積物のうち7%しか下流に流されず、海抜335mの水位の中で17%の容量がなくなった。結果、上流の水運と農地が脅かされ、100万人が追加で立ち退くことになった。12の深い水門と放水量の変化に関わらず、沈泥が貯水池、特に背水に溜まり続けた。こうした潜在的な危機に対応すべく、1964年12月に国務院総理 の周恩来 を交えて会議が開かれ、放出増加と沈泥の調整のためにダムのゲートハウス (英語版 ) の改修が決まった。
改修工学は直ちに二段階に分けて行われた。第一段階では、ダムの左岸の海抜290mの高さのところで2つのトンネルを設置し、4つの水圧管 (英語版 ) を洗浄管に変えた。洗浄管は1966年に、トンネルは1967年と1968年に稼働を開始した。第二段階では、8つの底水門がダムの左側に追加され、1970年から1971年の間に稼働を開始した。1970年に沈泥が安定した。1990年に水門が稼働し、1999年に別の水門、2000年に最後の水門が稼働した[ 2] [ 3] 。
論争と逮捕
土砂堆積の影響は改修された後も続き、それに伴い批判も高まった。渭水 の上流では深刻な洪水が起こった。2004年、中国の水力技術者張光斗 は、このダム事業を「間違い」と述べ、かつて水文学 ・河川工学 者であった黄万里 がダム建設に反対したため強制労働に従事させられた様子を記した。他の技術者もダムの存在に反対しているものの政府の報復により沈黙している[ 7] 。
2010年8月、中国のジャーナリスト である謝朝平 は、「大遷徙」 (The Great Migration)という本を自費出版して、ダムと政府の政策を批判したため拘留された。翌月、出版に関わった関係者である趙順も逮捕された[ 10] [ 11] 。謝朝平は後に保釈された[ 12] 。
設計
このダムは高さ106m、長さ713mの重力式コンクリートダムである。688,400km2 の流域 の先頭にあり、16,200,000,000m3 の容量を持つ貯水池がある。この貯水池は2,350 km2 の地表面積を網羅し、山西省の龍門山 (英語版 ) まで246 km上流に延びている[ 5] 。ダムには最大で8基のタービン を保持できる発電施設があるものの現在は7基のみの設置である。5台の50MW (メガワット)および70MWのフランシス水車 の発電設備により総容量400MWの配置になっている[ 6] 。
脚注
ウィキメディア・コモンズには、
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^ “山西平陆:黄河三门峡大坝开启全力泄洪--图片频道--人民网 ”. pic.people.com.cn (2020年8月23日). 2024年5月29日 閲覧。
^ a b c d Attari, edited by Farhad Yazdandoost, Jalal (2004). Hydraulics of dams and river structures proceedings of the International Conference on Hydraulics of Dams and River Structures, 26–28 April 2004, Tehran, Iran . Leiden: Balkema. pp. 213–214. ISBN 90-5809-673-4 . https://books.google.com/books?id=PcHBFem4V_4C&pg=PA213&dq=Sanmenxia+Dam&hl=en&ei=AXnCTe7RJo2AvgOf5427AQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CDIQ6AEwAA#v=onepage&q=Sanmenxia%20Dam&f=false
^ a b c Fan, Gregory L. Morris ; Jiahua (1998). Reservoir sedimentation handbook : design and management of dams, reservoirs, and watersheds for sustainable use . New York [u.a.]: McGraw Hill. pp. 24.1–24.7. ISBN 0-07-043302-X . https://books.google.com/books?id=Vqfb-mVjVn8C&pg=SA24-PA1&dq=Sanmenxia+Dam&hl=en&ei=SGXDTaSIJIikuAO-gZWeAQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=2&ved=0CD0Q6AEwAQ#v=onepage&q=Sanmenxia%20Dam&f=false
^ “Thousands of miles of the Yellow River First Dam - Sanmenxia Dam Project ” (Chinese). The History of the People's Republic of China (9 December 2009). 2021年2月13日 閲覧。
^ a b “Sanmenxia Dam Scenic Area ”. Henan Province Tourism Administration. 2021年2月13日 閲覧。
^ a b “Hydroelectric Power Plants in China - Henan & Hubei ”. IndustCards. 5 September 2012時点のオリジナル よりアーカイブ。2021年2月13日 閲覧。
^ a b “One dam mistake after another leaves $4.4bn bill” . The Sydney Morning Herald . (22 May 2004). http://www.smh.com.au/articles/2004/05/21/1085120121829.html 2021年2月13日 閲覧。
^ “Introduction to Xie Chaoping’s book, "The Great Relocation" ”. PROBE International (15 October 2010). 2021年2月13日 閲覧。
^ “Yellow River Decade (5) Examining silt at the Sanmenxia Hydropower Station ”. China Green News. 2021年2月13日 閲覧。
^ “Printer of book about Sanmenxia Dam also arrested” . Refworld/Reporters Without Borders . (17 September 2010). http://www.unhcr.org/refworld/country,,,,CHN,,4c9846461e,0.html 2021年2月13日 閲覧。
^ “追寻《大迁徙》印刷人赵顺” . 美国之音(VOA) . (20 September 2010). https://www.voachinese.com/a/article-20100920-whereabouts-zhao-shun-103278319/769270.html 2022年3月7日 閲覧。
^ “Author of book about Sanmenxia Dam freed on bail” . Reporters Without Borders . (20 September 2010). http://en.rsf.org/china-journalist-arrested-for-writing-07-09-2010,38299.html 2021年2月13日 閲覧。
関連項目