三菱21号館
三菱21号館(みつびしにじゅういちごうかん)は、かつて日本の東京都千代田区丸の内にあった建築物である。館名は第21号館であったが、三菱第21号館とも呼ばれた。 沿革丸の内地区において多数の地所・建物を保有していた三菱合資会社により第21番目の洋風貸事務所として計画されたものであり、当時の東京府東京市麹町区有楽町1-1(後の東京都千代田区丸ノ内3-2、現・東京都千代田区丸の内三丁目3番1号)の地所において1912年(大正元年)8月より建設に着手され、1914年(大正3年)6月25日竣功となった[1]。 1920年(大正9年)5月より同年12月25日にかけ、地上5階建てに増築される[1]。 第二次世界大戦で日本が敗戦した後の1946年(昭和21年)3月22日、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) はこれを接収しソ連軍宿舎と成した[2]。同軍撤収後は極東空軍調達部・戦史編集部・沖縄基地建設設計部等に供される運びとなり、1953年(昭和28年)3月、1954年(昭和29年)1月11日、1956年(昭和31年)3月12日の順で段階的に解かれ、ついに同年5月をもって全てが三菱地所会社の手中となるに至った[2]。 そして会社は新東京ビルヂング第2期建設の地所にあてるべく1963年(昭和38年)9月をもってこれを取り除いた[3]。 建築概要丸の内地区における鉄骨鉄筋コンクリート構造の嚆矢とされる[4]。設計は藤村朗によるものである。 21クラブ当建物内においてはかつて「21クラブ」と称する親睦会が組織された[1]。入会資格は入居者であることとされ、新年宴会ならびに旅行が行事とされた[1]。 出典
参考文献
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