三澤功博
三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月16日[1][2] - 1998年〈平成10年〉6月22日[2])は、昭和から平成初期の政治家。長野県上伊那郡西春近村長、伊那市長。 来歴長野県上伊那郡西箕輪村(現・伊那市[3])で、三澤舜平、はく の長男として生まれた[1]。1927年(昭和2年)上伊那農業学校(現・長野県上伊那農業高等学校)卒業[1][3][4][5]。西春近村議会議員となり2期在任し[1][4][3]、1954年(昭和29年)同議長となる[1][3]。1960年(昭和35年)2月に西春近村長に就任し、1965年(昭和40年)3月まで2期在任した[1][3][5][6]。西春近村の伊那市編入後に、伊那市議会議員を1期務めた[1][3][4]。 1970年伊那市長選挙1970年(昭和45年)4月、伊那市長選挙に自民党公認で現職の田畑五郎司を破って当選した[1][3][4][7][8]。
1974年(昭和49年)は無投票で再選を果たした[8]。1978年(昭和53年)も無投票で3選を果たした[8]。 1982年伊那市長選挙1982年(昭和57年)は新人2人との選挙戦となったが、これを破って4選を果たした[8]。
1986年(昭和61年)1月まで務めた[3][5]。在任中は伊那中央保健衛生組合によるゴミ焼却場、し尿処理場、公共下水道などの生活環境整備、市営住宅の建設などにあたった[4]。その他、伊那市開発公社理事長や、上伊那山林協会長、上伊那地域行政広域事務組合(現上伊那広域連合)長など歴任した[1][3][4]。 1998年6月22日、脳出血のため伊那市の自宅で死去した[5]。 脚注
参考文献 |