三浦 銀二横浜DeNAベイスターズ #30 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
福岡県福岡市南区 |
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生年月日 |
(1999-12-30) 1999年12月30日(24歳) |
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身長 体重 |
175 cm 80 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2021年 ドラフト4位 |
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初出場 |
2022年3月25日 |
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年俸 |
740万円(2024年)[1] |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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三浦 銀二(みうら ぎんじ、1999年12月30日 - )は、福岡県福岡市南区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。
経歴
プロ入り前
福岡市立筑紫丘小学校3年生の時に筑紫丘ファイターズに入り軟式野球を始め[2]、福岡市立筑紫丘中学校では軟式野球部に所属[3]。
福岡大学附属大濠高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。同学年にはバッテリーを組んだ古賀悠斗がおり[4]、1学年上に浜地真澄、2学年上に坂本裕哉がいた[3]。2年秋からエースとなり、九州大会で優勝し、明治神宮大会でもベスト4に進出。この秋の公式戦は全て完投した。3年春の第89回選抜高等学校野球大会に出場し、創志学園との1回戦で3失点完投勝利[5]。滋賀学園との2回戦では宮城滝太と投げ合い、延長15回を1失点完投し引き分け再試合に[6]。中1日で行われた再試合で3失点完投勝利し、ベスト8に進出した[7]。報徳学園との準々決勝では疲労を考慮して登板を回避し、チームも敗れた[8]。同年夏は福岡県大会決勝で東筑に敗れ、2季連続での甲子園出場を逃した[4]。大会後に行われた2017 WBSC U-18ワールドカップの日本代表に選出され、オープニングラウンドの南アフリカ戦、3位決定戦のカナダ戦に先発登板していずれも勝利投手となった[9][10]。
法政大学に進学し、1年春からベンチ入り。同年秋には3勝を記録し、チームのリーグ戦優勝に貢献した[11]。3年時は調子を落とし未勝利に終わったが、4年春から主将に就任し、2021年4月10日の慶應大学戦では無安打での1失点完投勝利「ノーヒットワンラン」を記録した[12]。その後、9月10日にプロ志望届を提出した[13]。
10月11日のドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから4位指名を受けた[14]。11月18日、契約金4500万円、年俸870万円で仮契約を結んだ[15]。背番号は30[16]。背ネーム表記は、監督である三浦大輔の「D.MIURA」にあやかって、「G.MIURA」となった。
ベイスターズでは高校日本代表のチームメイトで、東京六大学野球でも対戦した早稲田大学出身の徳山壮磨がドラフト2位の同期入団となり[17]、高校の先輩である坂本のほか、高校日本代表でチームメイトだった櫻井周斗、法政大で1学年先輩だった石川達也とも再びチームメイトとなった。
DeNA時代
2022年は、春季キャンプから一軍メンバーに選ばれる[18]。ルーキーで唯一の開幕一軍入りを果たしたが、プロ入り初登板となった3月25日の広島戦で8回からリリーフ登板し2回3失点。その後、登板の機会が無く4月1日に登録抹消となった[19]。二軍で調整を続け、8月28日に再び一軍昇格したが、最終的に6試合の登板で防御率10.80だった。
2024年は一軍登板はなく、同年戦力外通告を受けた[20]。
選手としての特徴
テイクバックの小さい上手投げから投げる最速152キロ、常時140キロ台中盤の直球を武器に、スライダー、カーブ、フォークといった変化球を織り交ぜる[21][22]。
体操選手のように体が柔らかく、柔軟性に優れた身体能力を持ち合わせている[2][23]。
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手
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試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
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2022
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DeNA
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6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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2023
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1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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通算
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7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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記録
- 初記録
- 投手記録
- 打撃記録
背番号
代表歴
登場曲
脚注
関連項目
外部リンク