三木孝志
三木 孝志(みき たかし、1939年4月27日 - )は、日本の陸上競技(やり投)選手[1]。 1950年代から1960年代にかけ、日本陸上競技選手権大会の男子やり投種目優勝7回、日本記録更新9回[2]を数える。 経歴和歌山県出身[3]。 和歌山県立那賀高等学校在学中の1956年10月、日本陸上競技選手権大会のやり投競技で優勝(60m07)[4]。また同年の第11回国民体育大会(兵庫県)においても、やり投競技で優勝を果たした[3]。 早稲田大学在学中の1958年7月6日、日本学生陸上競技対校選手権大会のやり投競技において、日本記録(69m50)で優勝[2][5][6]。1958年には自らの日本記録を3度にわたり塗りかえており、10月12日の日本陸上競技選手権大会も日本記録(72m81)で優勝した[2][5]。大学在学中の最高記録は1961年8月18日にノビサドで行われた国際競技会における74m66で、ここまで日本記録・日本学生記録更新は6度にわたる[2][5]。なお、在学中に1959年夏季ユニバーシアード(トリノ)、1961年夏季ユニバーシアード(ソフィア)に出場[6]。 1962年に早稲田大学商学部卒業後は東急電鉄に所属し、競技生活を続けた。1962年の第4回アジア競技大会(ジャカルタ)に出場[3]、やり投で優勝[6][7]。また1963年夏季ユニバーシアード(ポルトアレグレ)に出場している[6]。社会人としても、1963年6月2日の全日本実業団対抗陸上競技選手権大会(神奈川県小田原市)を皮切りに3度にわたり日本記録を更新[2]。1964年5月9日、五輪候補記録会(鳥取県倉吉市)で78m51を投擲したのが、9度目にして最後の日本記録更新である[2]。 1964年の1964年東京オリンピック[3]に出場。 1956年から1968年まで日本陸上競技選手権大会やり投げ競技での優勝7回[4]。1961年から1968年にかけて実業団・学生対抗陸上競技大会での優勝6回(うち1回は学生としての優勝)[8] 脚注
関連項目 |