三好可正
三好 可正(みよし よしまさ)は、江戸時代前期の武将、旗本。三好為三の子。 生涯慶長年間に給仕番として徳川家康に仕え、父とは別に1,000石を与えられる。慶長5年(1600年)父とともに関ヶ原の戦いに従軍。慶長8年(1603年)家康の将軍宣下参内に従い、従五位下越後守に叙される。慶長19年(1614年)からの大坂の陣には父とともに両役に従軍。元和5年(1619年)大和国山辺郡丹後庄(現大和郡山市)[1]、添下郡守目堂(現天理市)[2]、超昇寺(現・奈良市)[3]に移封。寛永3年(1626年)徳川秀忠・家光の上洛に従う。寛永8年(1631年)父が96歳で死去したが、家督は子の勝任が継承した。寛永11年(1634年)没。家督は次男の勝正が継承した。なお娘が為三の養女として丹波亀山藩主菅沼定芳に嫁いでおり、交代寄合菅沼氏初代菅沼定実を生んでいる。 脚注
参考文献 |