七条光明七条 光明(七條、しちじょう みつきよ、1900年(明治33年)8月15日[1] - 1964年(昭和39年)11月2日[1][2])は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・烏丸[1]。 経歴伯爵・烏丸光亨の三男として生まれ[1][3]、先代七条信義の死跡を継承し、1924年(大正13年)6月16日、子爵を襲爵した[1][3][4]。 学習院高等科を修了[2]。1935年(昭和10年)豊島区役所嘱託に就任[2]。以後、関東電気工業社員、同社農場主任、浅野カーリツト会社員などを務めた[2][3]。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。 親族脚注参考文献
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