一色公深
一色 公深(いっしき きみふか/こうしん[1])は、鎌倉時代の武士。一色氏の祖[2]。左京大夫[1]。入道して、大夫法師と号す[1]。宮内卿律師、一色阿闍梨[1][3]。また公深は法名ともいう。 事績・経歴弘長3年(1263年)10月23日、誕生した[4][5]。足利泰氏の七男[1]。母は桜井判官代某の娘[1][3]。 はじめ三河国幡豆郡吉良荘一色に住み、一色を称した[1]。元応元年(1319年)[4]、下総国葛飾郡田宮荘幸手(現在の埼玉県幸手市中一丁目)に移住し、同地に幸手城を築いたという[6]。 その後、領地替えのため、下総国小文間(茨城県取手市)、次いで木野崎村に入った[4]。 元徳2年(1330年)2月17日、死去[1]。孝厳相公宝持寺と号す[1]。幸手の宝持寺に葬られた[1]。 家族脚注参考文献
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