一立斎文車

一立斎 文車(いちりゅうさい ぶんしゃ)は、講釈師名跡

初代

姓:田中、名:不明、生年不詳 - (文久2)1862年9月16日。享年不詳。

嘉永から文久にかけての世話講談の名人。大坂(江戸とも)生れで豆腐屋魚屋とも)を営んでいたが芸事が好きで独自に講談の世界に入る。

与話情浮名横櫛」の原作ともいわれる。(菅良助の説もある)

二代目松林伯圓共に「泥棒伯圓、巾着切り文車」と併称された。なお家業が豆腐屋であった為「豆腐屋文車」とも言われた。

二代目

本名:不詳、生年不詳 - (明治14)1881年11月8日11月18日とも)。享年不詳。

江戸(大坂とも)生まれ、初代の子とも、竹本土佐太夫の子ともいわれる。はじめ文晁といった。亭号を一龍斎とし一龍斎文車を名乗った。三代目の師匠。

永井荷風の「築地草」で絶賛されている一立斎文慶は弟子にあたる。

三代目

本名:春日岩吉、(嘉永1)1848年 - (大正6)1881年8月11日

15歳で二代目文車に入門し文玉、文晁と改名し三代目文車を襲名。「西遊記」を得意とした。

張り扇を意味もなく何回も強く叩く癖があったために「がちゃ文」と言われた。