ロシアの細密画に描かれたヴォーロスの図(エリザヴェータ・ビョーム (英語版 ) による再構)
ヴォーロス [ 注 1] (ウクライナ語 : Велес, Волос 、Volos [ 注 2] )あるいはヴェーレス [ 注 3] (Veles [ 注 4] ) は、スラヴ神話 における地球、家畜、冥界 の神 である。
一部の科学者の言語学的再構築によると、ヴォーロスは永遠の春の下層世界の神で、怒れる獣(熊)、あるいはドラゴンの姿をとり、雷の神ペルーン に打倒されるものとして表象された。別のバージョンによると、ヴォーロスは家畜をむさぼり食う蛇の姿をしている。[ 2] [ 3] 。
概要
ポーランドにおけるスラヴ信仰の継承を掲げるRKP(Rodzimy Kościół Polski) (英語版 ) によるヴォーロスの祭壇 (2009年)
ヴォーロスは『原初年代記 』907年、および971年の項では家畜の神とされている[ 4] 。また、夜空の星を放牧された家畜に見立て、ヴォーロスをそれらを見守る月神ともみなすこともあった[ 注 5] 。人々にとって家畜が重要な財産であったことから、その守り神であるヴォーロスは財宝や豊穣多産も司るとされた[ 6] 。
ヴォーロスについては、ルーシ とビザンティン帝国 との間で907年、945年、971年に締結された平和条約の中に、ペルーン と共に重要な役割を担った旨が記載されている。また、『原初年代記 』では、907年のルーシによるコンスタンチノープル 攻略後の平和条約の締結の際、ルーシの戦士達がヴォーロスとペルーンの前で武器に誓いを立てている[ 7] 。このようにペルーンと共に重要視される神格ながら、キエフ大公ヴラジーミル が造らせた、キエフ の丘の6体の神像にはヴォーロスの像が含まれていない。おそらくは、軍神として戦士たちを守護するペルーンとは役割が異なり[ 8] 、一般の人々にとってより身近な存在として、キエフの丘にペルーンらの像が置かれる前に、すでにヴォーロスの像が丘の麓にあっただろうと考えられている[ 9] 。
今日までの研究では、ヴォーロスはドラゴンのような姿の神であり、地球、家畜、冥界を象徴している。[ 10] :211–214 。一部の研究者は、ヴォーロスを家畜をむさぼり食う地下のヘビと定義している。[ 10] :141 [ 3] 。
ヴォーロス (Volos) の名前に似たロシア語volosが「毛髪」、volosatyjが熊の忌み言葉 である「毛むくじゃら」を指すことから、熊 と関係する獣の姿をした神という説がある[ 11] 。ザヴォールジエ 地方ではヴォーロスは熊への信仰に関連づけられた[ 12] 。
キリスト教の受容後
ロシア ・ノブゴロド にあるロシア建国一千年祭記念碑像 の「ヴァリャーグ 招致」の場面に造られたヴォーロス像(画像中央)
988年 、ヴラジーミルは古来の宗教からキリスト教 (ビザンチンのギリシャ正教 )へ改宗することを決め、家臣達にも洗礼 を受けさせた[ 13] 。それまで、多くの商船が出入りするポチャイナ川 の下流にあるキエフの市場に置かれ、ルーシを豊かにする商業活動を見守り続けていたヴォーロスの神像は、信仰を失い、ポチャイナ川に投棄された[ 14] 。ロストフにあった神像も聖アヴラーミィ によって壊され、その跡にはキリスト教の教会が建てられた[ 15] 。こうして、古来の神々は異教とみなされ、排斥されていった[ 13] 。
しかし農民達の間では、ヴォーロスは家畜の守り神として生き続けていった。19世紀に入ってもなお農家の女性達は、ヴォーロスへ生贄を捧げる儀式の名残りのように、収穫した麦の一束を畑に残していた[ 16] 。また、家畜を守り豊穣多産をもたらすヴォーロスは、キリスト教に取り込まれるとギリシャ の聖ヴラーシイ(聖ブラシウス) 崇拝にも習合した[ 6] [ 17] [ 注 6] 。
ヴォーロスとヴェーレス
ヴォーロス (Volos) とヴェーレス (Veles) とは、多くの人が同じ神の異名だと考えている[ 12] [ 9] 。しかし北部ロシアにみられるヴェーレスの石像は「家畜の神」と呼ばれた痕跡がない[ 12] 。また、一方でリトアニア語 Welis が死者、リトアニア語やチェコ語 の vere が悪魔という語にさかのぼることから、死を司る神ではないかとの説もある[ 11] 。文献においてはヴェレス(ヴェーレス)の名は西スラヴや南スラヴで多く見られ、そこでは「死」の他に「詩」ともしばしば関連づけられている[ 9] 。そのためヴェーレスには詩神という説もある[ 18] が、12世紀に書かれた『イーゴリ軍記 』では、吟遊詩人 のボヤーンが「ヴェーレスの孫」[ 17] あるいは「ヴェレスの末裔」[ 19] (ヴォーロスまたはヴォロスではなく)と呼称されている。こうしたことから、ヴォーロスとヴェーレスは必ずしも同一の神格ではないという意見が少なからずある[ 12] [ 9] 。
ヴェーレスの名は南スラヴの地名にも残り[ 17] 、マケドニア共和国 の町ヴェレス もこの神の名前から取っている。
なお、16世紀のチェコ語文献には、ヴェーレスが悪魔 を指す用例が見られる[ 12] 。
脚注
注釈
出典
^ Успенский , Борис Александрович (1982). Филологические разыскания в области славянских древностей. Реликты язычества в восточнославянском культе Николая Мириликийского . Moscow State University . http://www.gumer.info/bibliotek_Buks/Culture/usp/02.php
^ a b ヴャチェスラフ・イヴァーノフ 、ウラジーミル・トポロフ 。ヴェーレス //世界の人々の神話/ Ch。 ed。セルゲイ・トカレフ。 -モスクワ:ソビエト百科事典、1987 .-- T. 1., p. 227.「ヴェーダ神話では、ヴリトラ と牛をむさぼり食う神ヴァラ がヴォロスと一緒になります。「主な神話」の陰謀によると、ヴォロスは雷神ペルーンの敵であり、その家畜を奪います。」。(В ведийской мифологии с Велесом сближают богов Вритру и Валу, пожирающего скот. Согласно сюжету "основного мифа", Велес был противником Перуна-громовержца, похищающим его стада́ ).
^ 中村訳 1985 , p. 14.
^ 中堀 2013 , pp. 112-113.
^ a b 中堀 2013 , p. 113.
^ ワーナー 2004 , p. 15.
^ ワーナー 2004 , p. 16.
^ a b c d 和田 1997 , p. 151.
^ a b Katičić, Radoslav (2008). Božanski boj: Tragovima svetih pjesama naše pretkršćanske starine . Zagreb: IBIS GRAFIKA. ISBN 978-953-6927-41-8 . https://hrcak.srce.hr/45678
^ a b 中堀 2013 , p. 112.
^ a b c d e f 伊東 2002 , p 52.
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^ a b c d 伊東2002 , p. 53.
^ 木村訳 1983 , p. 155.
^ ワーナー 2004 , p 14.
参考文献
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『イーゴリ遠征物語』木村彰一 訳、岩波書店 〈岩波文庫 〉、1983年4月。ISBN 978-4-00-326011-1 。
中堀正洋 著「ヴォーロス」、松村一男 、平藤喜久子、山田仁史編 編『神の文化史事典』白水社 、2013年2月、pp. 112-113頁。ISBN 978-4-560-08265-2 。
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和田義浩「スラヴ神話」『世界の神話がわかる 〈民族の聖なる神と人の物語〉を探究する!』日本文芸社 〈知の探究シリーズ〉、1997年8月、pp. 146-152頁。ISBN 978-4-537-07811-4 。
ワーナー, エリザベス『ロシアの神話』斎藤静代訳、丸善 〈丸善ブックス 101〉、2004年2月。ISBN 978-4-621-06101-5 。
Marjanić, Suzana (2009). “Recenzija, Prikaz slučaja: Radoslav Katičić, Božanski boj, Tragovima svetih pjesama naše pretkršćanske starine, Ibis grafika, Filozofski fakultet, Odsjek za etnologiju i kulturnu antropologiju ; Katedra čakavskog sabora, Zagreb – Mošćenička Draga 2008., VIII, 378 str” . Narodna umjetnost : hrvatski časopis za etnologiju i folkloristiku (Zagreb: Institut za etnologiju i folkloristiku) 46 (2): 179-181. https://hrcak.srce.hr/45678 .
関連項目
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