ヴォルガスト
ヴォルガスト(Wolgast)はドイツ連邦共和国の都市。メクレンブルク=フォアポンメルン州のオストフォアポンメルン郡に属する。ペーネシュトロム川に面しており、跳開橋を通して、道路と鉄道で行き来できるウーゼドム島と向かい合っている。 歴史現代ヴォルガストの先駆けは、ヴェンド人の拠点、ホロガスト砦であった[2]。1123年、ホロガストはポメラニア公ヴァルティスラフ1世に明け渡された[3]。1128年、ヴェンド人はバンベルク司教オットーに洗礼を施され、オットーは現地の神殿を破壊して、そこに聖ペトリ教会を建てた。まもなく、ドイツの入植者が発展しつつある町に移り住んだ。1282年、ヴァルティスラフ3世により、リューベック法を与えられた[4]。 ヴォルガストは、グライフェン家の支配が終わる1637年まで、1285年からポメラニア公の居住地であり[5]、公国の長年の分裂における、ポメラニア=ヴォルガスト公国の首都であった。居住用の宮殿は、ある島にルネサンス様式で建てられた。それゆえその島は、宮殿島と呼ばれている[6]。フィリップ・ユリウス公が跡継ぎを残さず死んだとき、ポメラニア=ヴォルガスト公爵の系譜は途絶えた[7]。 三十年戦争の間に、スウェーデン王国はヴォルガストを占領し、1815年までスウェーデン領ポメラニアの一部として保持した。大北方戦争のおり、アルトナでのスウェーデンの放火に対する報復として、1713年にロシア・ツァーリ国軍によって町は焼き払われた[5]。1つの教会と4つの礼拝堂、もう4つの建築物だけは火災を免れた[5]。したがって、旧市街の建物は18〜19世紀のものであり[6]、町役場は火災の後、バロック様式で再建された[5]。 1815年のポメラニアからのスウェーデンの撤退後、町はプロイセン王国のポンメルン州に組み入れられた。宮殿の最後の残骸は、1849年に運び出された[6]。ヴォルガストは、穀物取引のための港として19世紀を通じて繁栄した[5]。 1994年6月12日、ヴォルガストは郡役所所在地としての地位を失い、ヴォルガスト郡はオストフォアポンメルン郡と合併した。2011年には、フォアポンメルン=グライフスヴァルト郡の一部となった。 出身者
引用
参考文献
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