イェーガーは『Humanistische Reden und Vortraege』(1937年)と『Demosthenes』(1938年)にて、オブラートに包んだ形で抗議の意を示した。なお、後者はカリフォルニア大学バークレー校で1934年に行われたサザー講義に基いている。イェーガーが込めたメッセージはドイツ本国の大学関係者たちには完全に理解され、ナチス・ドイツの熱烈な支持者は激しくイェーガーを攻撃した。
イェーガーは数冊からなる著作『Paideia: The Ideals of Greek Culture』の著者として最もよく知られている。同著は古代ギリシャにおける最初期の教育実践と、その文化的本性に関する後世の哲学的反省を考察したものである。この著作によって、イェーガーは20世紀初頭に見られたヨーロッパにおける退廃的状況を改め、ヘレニズム文化に起源をもつ諸価値を回復しようとしたのである。イェーガーの最終講義『Early Christianity and Greek Paideia』(1961年、邦訳1964年)は、彼の生涯にわたる業績をまとめた非常に印象的な作品である。その扱う範囲は幅広く、ほぼ1,000年の歴史をもつギリシャ文献学、ホメロス、ソクラテス以前の哲学者たち、プラトン、そして幾人かの教父たちの哲学・神学にまで至る。ヴェルナー・イェーガーの論文は、ホートン図書館(ハーバード大学)に所蔵されている。
プラトンとアリストテレスの解釈
プラトンとアリストテレスの解釈史に関するイェーガーの立ち位置について、ジョンズ・ホプキンズ大学のハロルド・F・チャーニス(英語版)が明確に要約している。プラトンとアリストテレスの解釈史は、おおまかに言って、下記に示す立場のどれかを支持していると考えられる。(a)アリストテレスはプラトンの初期対話篇・著作に共感し、受容した。(b)アリストテレスはプラトンの後期対話篇・著作に共感し、受容した。(c)先の2つの立場を様々に組み合わせた立場。チャーニスは次のように述べている。「ヴェルナー・イェーガーの見た限りでは、プラトンの哲学は『質料(matter)』なのであり、そこから新しく高度なアリストテレスの思考という形相(form)が生まれ、徐々にではあるが確実かつ着実に発展していったとされる(『Aristoteles』, p. 11)。この解釈は、アリストテレスのプラトン理解が「絶対的無理解(absolut verstandnislos)」だったのかどうかという「古い論争(old controversy)」を呼び起こすものである。だが、このことは、アリストテレス独自の思考パターンが、ある特定のプラトン理解と不整合である、というライゼガングによる再主張を妨げるものではなかった」[1]。ここでチャーニスは、イェーガーとライゼガングが反対の立場にあり、ライゼガングはプラトンとアリストテレスを上記(a)もしくは(b)の立場によって調停する可能性があることについて共感的ではなかったと考えている。
著作
Emendationum Aristotelearum specimen (1911)
Studien zur Enstehungsgeschichte der Metaphysik des Aristoteles (1911)
Nemesios von Emesa. Quellenforschung zum Neuplatonismus und seinen Anfaengen bei Poseidonios (1914)
Aristoteles: Grundlegung einer Geschichte seiner Entwicklung (1923; English trans. by Richard Robinson (1902-1996) as Aristotle: Fundamentals of the History of His Development, 1934)
Platons Stellung im Aufbau der griechischen Bildung (1928)
Paideia; die Formung des griechischen Menschen, 3 vols. (German, 1933–1947; trans. by Gilbert Highet as Paideia: The Ideals of Greek Culture, 1939–1944) - ハイエットによる英訳