ヴェコスラヴ・ルブリッチ
ヴェコスラヴ・ルブリッチ(Vjekoslav Luburić、1913年6月20日 - 1969年4月20日)は、クロアチアの軍人。ウスタシャ民兵大将。セルビア人、ユダヤ人の大量虐殺の責任者の1人であり、マックス(Maks)とも呼ばれた。 経歴フマツ出身。ウスタシャ民兵の副司令官。後にウスタシャ保安庁(Ustaska Nadzorna Sluzba;略称UNS)第3部を率い、クロアチア国内の強制収容所を監督した。 1944年、クロアチア独立国軍(ドモブラン)とウスタシャ民兵の統合後、軍に移る。アンテ・パヴェリッチの政敵であったアンテ・ヴォキッチとムラデン・ロルコヴィッチの除去を組織。後に保安旅団長に任命され、1945年5月6日、クロアチア国軍司令官となった。 戦後、クロアチア人の将官の大部分はオーストリアに亡命したが、ルブリッチはクロアチアに留まり、ウスタシャのパルチザン部隊を率いた。1945年11月にオーストリア、その後イタリアとフランスを経由してスペインに亡命した。1955年までパヴェリッチの側近。その後、ウスタシャ移民組織である「クロアチア人民抵抗」を率いる。1969年にユーゴスラビアの特務機関により暗殺。 関連項目
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