ヴァシリッサ・オルガ (駆逐艦)ヴァシリッサ・オルガ(ギリシャ語:Βασίλισσα Όλγα)は、ギリシャ海軍の駆逐艦。ヴァシレフス・ゲオルギオス級。 艦歴ヴァシレフス・ゲオルギオス級2隻は1937年1月29日にイギリスのヤーロー社に発注された[1]。1937年2月起工[1]。1938年6月2日進水[1]。1939年2月4日就役[1]。兵装工事はギリシャで実施された[1]。 1940年8月15日に巡洋艦「エリ」がティノス島でイタリア潜水艦に撃沈される[2]と、ヴァシレフス・ゲオルギオス級2隻はティノス島にあった船舶を本土へ移す任務に従事した[1]。 イタリアがギリシャへ侵攻すると、敵補給路攻撃や船団護衛などに従事した[1]。1940年11月14-15日には「ヴァシリッサ・オルガ」を含むギリシャ駆逐艦4隻がオトラント海峡へ出撃したが、敵を見なかった[2]。また、1941年1月5-6日には「ヴァシリッサ・オルガ」など5隻のギリシャ駆逐艦がヴァロナ近くの場所へ艦砲射撃を行った[2]。1941年3月1日、ヴァシレフス・ゲオルギオス級2隻は金塊の本土からクレタ島への輸送に従事[3]。 4月、ドイツ軍がギリシャに侵攻。ヴァシレフス・ゲオルギオス級2隻はギリシャ・エジプト間の船団護衛に従事した[2]。4月22日に「ヴァシリッサ・オルガ」は海軍総司令官などとともにクレタ島へ逃れた[4]。 以後、地中海や紅海、アラビア海で護衛任務に従事[1]。 1941年10月9日には「ヴァシリッサ・オルガ」は地中海を離れてカルカッタへ向かい、1942年1月5日までかけて同地で後部魚雷発射管の3インチ高角砲への取り換え、爆雷装備強化のためのY砲撤去、128型アスディック装備等がなされた[5]。 1942年3月26日、「ヴァシリッサ・オルガ」と駆逐艦「ジャガー」、対潜トローラー「Klo」が給油艦「スラヴォル (Slavol)」を護衛してトブルクへ向かっていたところ、ドイツ潜水艦「U652」の攻撃を受けて「ジャガー」が撃沈された[6]。「ヴァシリッサ・オルガ」は「ジャガー」の生存者を救助したが、その間に「スラヴォル」もドイツ潜水艦「U205」によって撃沈されてしまった[6]。 5月初め、船団護衛中に触礁して推進器が損傷した[7]。 12月15日、「ヴァシリッサ・オルガ」と駆逐艦「ペタード」はマルタ南方でイタリア潜水艦「ウアルシエク (Uarsciek)」を捕獲したが、同艦は曳航中に沈没した[8]。 1943年1月18-19日の夜、「ヴァシリッサ・オルガ」と駆逐艦「ヌビアン」、「パケナム」はケルケナ・バンクで報告された敵を捜索[9]。19日にイタリア船「Stromboli」(475トン)を発見して沈めた[10][11]。 2月、中東からオーストラリアへ第9師団を戻すパンフレット (Pamphlet) 船団(「クイーン・メリー」、「イル・ド・フランス」他)が運航され、「ヴァシリッサ・オルガ」など6隻の駆逐艦がソコトラ島まで対潜護衛を務めた[12]。 6月1日、タラントからメッシーナへ向かう船団があるとの情報に基づき、「ヴァシリッサ・オルガ」と駆逐艦「ジャーヴィス」はマルタから出撃[13]。6月2日、スパルティヴェント岬(Cape Spartivento)沖で「Vragnizza」(1513トン)、「Postumia」(595トン)および護衛の「カストーレ」からなる船団を攻撃して「カストーレ」を沈め、他2隻を損傷させた[14]。または、護衛は「カストーレ」と小型の護衛艦「X137」で、「カストーレ」は擱座し、他3隻は沈没[15]。 「ヴァシリッサ・オルガ」はハスキー作戦(シチリア島侵攻)に参加してカターニア砲撃も行い、続いてサレルノ上陸作戦に参加[16]。 それからドデカネス諸島で活動[7]。9月18日、「ヴァシリッサ・オルガ」と駆逐艦「エクリプス」、「フォークナー」はスタンパリア島沖で「Pluto」(3830トン)、「Paula」(3754トン)と護衛の駆潜艇「UJ2104」からなる船団を攻撃して「Pluto」と「Paula」を沈めた[17]。また、「UJ2104」は擱座した[17]。9月26日、「ヴァシリッサ・オルガ」はレロス島でドイツ軍第1教導航空団のJu88によって撃沈され、艦長のM. Blessasを含め72名が戦死した[18]。 脚注
参考文献
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