ワールド・B・フリー
ワールド・B・フリー (World B. Free, 1953年12月9日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長188cm、体重84kg。ポジションはシューティングガード。出生名はロイド・バーナード・フリー (Lloyd Bernard Free) であったが、1981年に改名した。 経歴フリーはアトランタで生れ、ニューヨーク州ブラウンズビルで育った。進学したノースカロライナ州のギルフォード大学では、1年生にしてチームをNAIAトーナメント優勝に導き、大会MVPを受賞した。 1975年、フリーはNBAドラフトにエントリーし、全体23位でフィラデルフィア・76ersに入団した。76ersで3シーズンプレーした後、1978年にサンディエゴ・クリッパーズに移籍するとチームのエースとして華々しい活躍を見せた。1978-79シーズンはリーグ2位の平均28.8得点でオールNBA2ndチームに選ばれ、翌1979-80シーズンはキャリアハイとなる平均30.2得点を叩き出して自身唯一のオールスター出場を果たした。ただ、当時のクリッパーズはフリーのワンマンチームであり、どちらのシーズンもプレーオフを逃している。 フリーは1980年にゴールデンステート・ウォリアーズに移籍し、その後1982-83シーズン途中にクリーブランド・キャバリアーズに移籍した。キャバリアーズ時代の1985年には自身7年ぶりとなるプレーオフ進出を果たし、1回戦でボストン・セルティックス相手にシリーズ平均26.3得点と奮闘したが1勝3敗で敗退した。フリーはキャバリアーズでのラストシーズンとなった1985-86シーズンまで、8年連続で平均22得点以上を記録した。 フリーは1986年に古巣76ersに復帰したが、怪我のため20試合の出場に留まり、シーズン終盤に解雇された。その後USBLでの短期間のプレーを経て、1987年にヒューストン・ロケッツと契約し、1シーズンプレーした後に現役を引退した。NBAでの成績は886試合の出場で通算17,955得点3,319アシスト(平均20.3得点3.7アシスト)であった。 フリーは現在、76ersの選手開発責任者及びコミュニティ・アンバサダーとして活動している。 プレースタイル・人物フリーの最大の特徴は、ボールを担ぐようなフォームから放たれる高いアーチのジャンプショットである。これは10代の頃ニューヨークのプレーグラウンドでプレーしていた際、背が低くてシュートをよくブロックされていたために身に付けたという。また全盛期には垂直跳びで44インチを記録するなど高い身体能力を持ち、主に1オン1から得点を量産した。 フリーはリーグ屈指のスコアラーであったにもかかわらず、弱小球団に在籍した期間が長く、プレーオフでインパクトを残せなかったため過小評価されている選手の1人として知られている。NBA史上シーズン平均30得点を達成した31人のうち、オールスターに複数回選ばれていないのはフリーのみである。 "ワールド"という名前の由来は、高校時代にフリーの360度ダンクを目の当たりにした友人によって付けられたニックネームによる。1981年、28歳の誕生日の前日に、正式にファーストネームを「ワールド」に改名した。それに伴い、登録名が「ロイド・フリー」から「ワールド・B・フリー」に変更となった。 尊敬する人物はモハメド・アリである。 個人成績レギュラーシーズン
プレーオフ
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