ローバー・グループ
ローバー・グループ (The Rover Group plc) は、かつて存在した英国の自動車会社。1975年に半官半民化されたブリティッシュ・レイランドが、1986年に完全国営化された際にこの社名に変更となった[1]。当初はオースチン・ローバー・グループ(オースチン、ローバー、ミニ、MGのブランドを含む)、ランドローバー・グループ、フライト・ローバー・バン、レイランド・トラックから構成された。 ローバー・グループは1988年から1994年までブリティッシュ・エアロスペース(BAe)が所有し、1994年にBMWに売却された。2000年3月、BMWはローバー・グループを売却する旨を発表した。ランドローバーはフォードの傘下に入った。ローバーとMGは、より規模の小さいMGローバーとして2005年まで存続した。ローバー・グループが所有していたブランドは現在BMW(ドイツ)、上海汽車(中国)、タタ・グループ(インド)がそれぞれ所有している。上海汽車は現在MGブランドで車を生産している。MGモーターUK mg.co.uk (上海汽車の子会社)は、かつてのローバー・グループのロングブリッジ工場でイギリス国内向けのMG車の組み立てを行っている。同工場ではMG6とMG3(イギリス国内のディーラーネットワーク50の販売店で販売される)が組み立てられる。 歴史ローバー・グループは1986年にBL社がその名を変更した物である。当時の首相マーガレット・サッチャーがカナダ人のグラハム・デイをBLの社長およびマネージングディレクターに指名し、改名はその直後に行われた[2]。 ローバー・グループはBLから商用車部門と、物流会社のユニパートを分割した後、オースチン・ローバー・グループとランドローバー・グループが統合して形成された。グループは1988年にブリティッシュ・エアロスペース(BAe)に1億5000万ポンドで売却[1][3]、民営化された。BAeはデイをCEO兼会長として据え置き、ローバー・カーズのケヴィン・モーレイをマネージングディレクターに任命した。グループは1989年にローバー・グループ・ホーディングス・リミテッドと再び改名[4]、乗用車生産部門をオースチン・ローバー・グループ・リミテッド(省略形はローバー・グループ・リミテッド)とした。 1994年1月31日、BAeは保有する株式の80%をドイツの自動車メーカー、BMWに8億ポンドで売却した[4][5]。(この買収に関しては、議会下院で騒動となった[6]。)1996年には社名がBMW (UK) ホールディングス・リミテッドと再び変更された[4]。20%の株式を保有していた日本の自動車メーカー、ホンダは1980年以来続けていたBL/ローバーとの提携を取りやめ、1ヶ月後には保有する株式をBMWに売却した。しかしながら、共同で開発したローバー・200、400、600、800の製造に関わるライセンス契約はそのままにされた。 BMWは何百万ポンドもの投資を行ったが、利益を得ることはできなかった[5]。ローバーの倒産によって、BMWは150億マルクを損失したと見積もられた[7]。2000年3月にBMWはローバー・グループの売却計画を発表した。2ヶ月以内にグループの大半は売却された。 その後ランドローバー部門はローバーから分割され、フォード・モーターに売却された。そして、プレミアム・オートモーティヴ・グループの一員となり、最終的には1984年にブリティッシュ・レイランドから独立したジャガーと統合された。他部門はアルケミー・パートナーズとフェニックス・コンソーシアムによる入札の後[8]、生産部門の中心部分といくつかのブランド(MGなど)はフェニックス・コンソーシアムが落札した。MGローバーは規模が縮小されたものの、ロングブリッジでの生産を継続した。生産車種の中には41年間生産が続けられたミニも含まれ、最後の生産もロングブリッジで行われた。 MGローバーとして取引が行われたにもかかわらず、新会社の重要モデルはBMWからのライセンスが行われた。ローバー・グループによってロングブリッジで開発されたミニの商標は、ライレーやトライアンフといった商標や、旧ローバーの商標(メトロ、マキシ)と共にBMWによって戦略的に保持された。これらの商標はスポーツサルーンカーメーカーの遺産、またはミニの遺産で関連すると思われている。 財政危機および上海汽車による買収または投資のための会談が2005年前半に失敗した後、MGローバー・グループは財産管理状態になった。清算後、上海汽車はオースチン、モーリス、ウーズレーのブランドと共にローバー・75プラットフォームの意匠権を購入した。南京汽車はMGブランドに対する権利を購入した。2007年12月に南京汽車と上海汽車は合併を発表し、それによってかつてローバー・グループを形成したブランドのいくつかは再結合した。 BMWはローバーのブランドを上海汽車に売ることに同意していたが[9]、それにもかかわらずフォードは高級サルーンのブランドの権利を獲得した。フォードがジャガー、ランドローバーをインドのタタ・モーターズに売却し、歴史のあるデイムラー、ランチェスター、ローバーブランドの権利もタタに移った。 MGローバーの倒産から3年以上経った2008年8月、閉鎖されていたロングブリッジの生産施設はヨーロッパ市場向けのMG TFロードスターを生産するため再開された。このMGTF・LE500は500台の限定生産であった。TFは2010年まで小数の生産と販売が続けられた。 上海汽車は2007年に南京汽車と合併した。MGモーターUKは2011年に16年ぶりの新型MG、MG6の生産を始めた。2013年には新たにMG3が生産ラインナップに加わった。これは2013年夏に生産が始まり、これによってMGモーターは2014年にイギリスの中で最も成長の早い自動車メーカーとなった。2015年春には新型MG6が発表され、翌年には新型SUVの計画が発表された。 年表
生産車種ローバー・800 シリーズ→詳細は「ローバー・800」を参照
BLがローバー・グループに改名した直後にローバー・800は発売された。これはホンダと共に開発が行われた(ベースモデルはホンダ・レジェンド)。高級車市場で好調な販売を記録し、1991年にフェイスリフトが行われ、翌年にはクーペバージョンが投入された。しかしながら、1992年のマイナーチェンジ後は販売が滞った。ローバーのフラッグシップの役割は600が演じることとなった。800シリーズは1996年に再びアップデートが行われ、クロムと銀のグリルによる装飾が施された。1998年に生産が終了した。 ローバー・200 シリーズ→詳細は「ローバー・200」を参照
ローバー・グループの最初の重要な新車はローバー・200であり、1989年10月に発表された。前作とは異なり、4ドアサルーンを廃止して3ドアまたは5ドアのハッチバックのみとなった。搭載エンジンは16バルブのKシリーズガソリンエンジンの新ラインナップで、1.9リッターディーゼルおよび1.8リッターターボディーゼルエンジンを搭載したプジョー・405がライバルであった[要出典]。新型ローバー・200は先代より好調な販売を記録した。同クラスの車種として販売されていたマエストロはモデル末期で1994年に生産を終了したが、それに代わるより高級志向の車種としてローバー・200は発表された。後にはクーペおよびカブリオレも発売された。これらは全て1995年型モデルでも設定され、1999年にローバー・25としてモデルチェンジされた。1989年型ローバー・200はそのモデルライフを通じて好調な販売を続け、続く1995年型も同様に好調を記録した。しかしながら、生産最終年度の1999年には売り上げの低下に見舞われた。これらの好調は同時代のライバル車であるフォード・エスコートやボクスホール・アストラほど高くは無かった。[要出典]ローバー・200は1988年以来ホンダ・コンチェルトと共にロングブリッジ工場で組み立てられた。コンチェルトはより高級志向の車種として生産されたが、売れ行きはそれほど伸びなかった。 ローバー・400 シリーズ→詳細は「ローバー・400」を参照
1990年初めにローバーはローバー・400シリーズを発表した。400は基本的に200ハッチバックの4ドア・バージョンであったが、全長は伸ばされより多くの収容スペースを提供した。それはフォード・シエラやボクスホール・キャバリエの対抗車種として販売されたが、これらの車の成功に並ぶことはできなかった。400エステートは1994年に発表され、翌年に発表されたホンダ・シビックベースの新型でも設定された。1995年型ローバー・400は他の大型ファミリーカーの後継に比べて、サイズが下のカテゴリーに近く内部スペースの相対的な不足にもかかわらず、しっかりした作りで印象的な内装を提供し好評を博した。1999年にはフェイスリフトによる大型マイナーチェンジが行われ、ローバー・45と改名された。同時に400で設定されたエステートは廃止された。 ローバー・メトロ/ローバー・100→詳細は「ローバー・メトロ」を参照
1990年5月にローバーは古いメトロのフルモデルチェンジを行い、内外装の変更と新型1.1リッターおよび1.4リッターKシリーズガソリンエンジンを導入した。新型メトロは当時の小型車で最高の標準性能を誇った。[要出典]そして、1994年に新型のローバー・100(本質的には初代デザインのもう一つの改良版)にモデルチェンジするまで好調な売れ行きを記録した。ローバー・100は3年間生産が続けられ好調に売れ続けたが、1998年の衝突試験で惨憺たる結果を記録し、需要が劇的に低下した。ローバー・100の生産が終了したことで、ブリティッシュ・レイランド時代のデザインは消滅することとなった。 ローバー・600 シリーズ→詳細は「ローバー・600」を参照
ローバーは1993年3月に600シリーズで高級小型車市場に参入した。ホンダ・アコードをベースにした600は4ドアサルーンとして発売され、ホンダ製およびローバー製エンジンを搭載(ホンダはローバー製ディーゼルエンジンをヨーロッパで販売するアコードに搭載した)、より高級な内装が採用された。600は高級小型車市場で好評を博したが、ライバルと言えるBMW・3シリーズに対抗することはできなかった。これはある程度下の価格設定と、(ローバー・グループのオーナーである)BMWが600シリーズにおいた典型的な規制、下のカテゴリーで販売されるホンダ・アコードとの非常に密接な関係によるものであった。 マエストロ/モンテゴ
大きなモデルチェンジとローバーの名を与えられたメトロと違って、古いオースチンから引き継がれたこの2車種は市場における競争力がますます低下し、単に市場の予算の終了に対応するために生産が維持された。新しくローバーのバッジが付けられたモデルはフォードやGM(ボクスホール/オペル)のライバル車種と比較して、更に高級志向となった。MGと高性能化されたバージョンは、より高級なローバーと重ならないようマエストロ/モンテゴのレンジから下げられた。両車種とも1988年以降オースチンのバッジが外れ、単にモデル名でのみ呼ばれていた。モンテゴは1989年モデルで改訂が行われたが、マエストロは1992年にモンテゴの新しいダッシュボードが導入されるまで変更は行われなかった。両モデルとも1995年に生産が終了し、ホンダ・シビックをベースとしたローバー・400が代わって導入された。 ランドローバーランドローバーのモデル範囲は1980年代後半に劇的に拡大した。90/110は、外観はシリーズIIIのマイナーチェンジであったがドライブトレーンが大幅に近代化され、厳しかった売り上げは改善し始めた。レンジローバーは、より高級な器材が装着され、モデル投入以来初のオートマチックトランスミッションやディーゼルエンジンのオプションを投入し高級車として方向転換した後、好調に売り上げが増加した。成功した4x4のディスカバリーシリーズは1989年に投入され、18ヶ月にわたってヨーロッパにおける4x4車の売り上げ首位を記録した。ディスカバリーと共にデビューした先進的なディーゼルエンジンはすぐに同レンジの他モデルにも採用された。ランドローバーはこの期間に生産活動の合理化を行い、サテライト工場を廃止し、モデル間での部品共有を進めた。車軸、トランスミッションそしてエンジンは全て共有され、ディスカバリーはレンジローバーと同じシャシーおよび多くのボディパネルを使用した。90/110は1990年に新しいディーゼルエンジンが採用され、ディフェンダーと改名された。フルモデルチェンジしたレンジローバーは1994年にデビューし、改良型のディスカバリーと共に高い売り上げを記録した。4番目のモデル、小型SUVのフリーランダーは1998年にデビューし、ディスカバリーに代わってヨーロッパにおける4x4車のベストセラーとなった。 MGMGのバッジエンジニアリング(1982年にオースチン・ローバーが初めて行った)は、マエストロやモンテゴでの若干の合理的成功にもかかわらず1991年に終了した。(MG・メトロは1990年のフェイスリフト後に生産中止となった)MGのバッジは1992年にRV8(MGBの近代化バージョン。レンジローバーの3.9リッターV8エンジンを搭載したが、同時代のライバルカーに比べて現代化の改良に欠けたモデルであった)の生産によって復活した。これは初期のMGのスポーツカーのような販売を記録することは無く、1995年に生産終了した。 MGスポーツカーの「本当の」再生は1995年のことであった。この年、MGFが発表された。これは1.8リッター16バルブエンジンをミッドシップに搭載し、特徴的なスタイルと優れた操縦性で乗り手は衝撃を受けた。それは、幾人かのオーナーが精彩を欠いた組み立て品質と信頼性に対して失望したにもかかわらず、1990年代末におけるロードスター・ルネッサンスでの大きな成功であった。 スポンサー活動ローバー・グループは1990年代初期から中頃にかけてスコットランドのサッカーチーム、ダンディー・ユナイテッドFCのスポンサーであった。チームはこの間の1994年にスコティッシュカップを獲得している。 参照
外部リンク
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