ロレンツォ・クアーリョ2世
ロレンツォ・クアーリョ(Lorenzo Quaglio the Younger、1793年12月19日 – 1869年3月15日)は北イタリアの芸術家の一族クアーリョ家の出身の画家で、ミュンヘンで生まれ、ミュンヘンで活動した。父親の叔父で、マンハイムなどで活動した建築家、画家のロレンツォ・クアーリョ(1730–1804)と区別するために、ロレンツォ・クアーリョ2世とか若いほうのロレンツォ・クアーリョと呼ばれる。風俗画を描いた。 略歴ミュンヘンで生まれた。父親のジュゼッペ・クアーリョ(1747–1828) は現在のイタリア、コモ県のライーノの生まれで、17世紀初めの Giulio Quaglio the Elder (1610–1658)から始まるクアーリョ家の出身で、ミュンヘンなどで舞台芸術家などとして働き、1801年に宮廷建築家になった人物である。 ロレンツォ・クアーリョの兄弟のアンジェロ・クアーリョ(1784–1815)、ドメニコ・クアーリョ(1787-1837)、ジモン・クアーリョ (1795–1878)らも芸術家として知られている。 父親や兄から美術を学んだ後、ミュンヘン美術院で学んだ。1812年までバイエルン選帝侯の宮殿や、ミュンヘンの劇場の装飾の仕事をした。ホーエンシュヴァンガウ城の装飾も行った。 バイエルンやチロルの山地を旅し、村人の生活を描いた。版画作品も制作した。 作品
参考文献Квальо Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона - ロシア語版Wikisourceのクアーリョ家の記事 |