ロブ・カーマン

ロブ・カーマン
基本情報
本名 ロブ・カーマン
通称 ザ・ダッチマン
キックの帝王
階級 ライトヘビー級
身長 187cm
体重 89kg
国籍 オランダの旗 オランダ
誕生日 (1960-06-05) 1960年6月5日
出身地 アムステルダム
死没日 (2024-03-31) 2024年3月31日(63歳没)
所属 オランダ目白ジム
スタイル キックボクシング
プロキックボクシング戦績
総試合数 112
勝ち 97
KO勝ち 77
敗け 12
引き分け 1
無効試合 2
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ロブ・カーマンRob Kaman1960年6月5日 - 2024年3月31日)は、オランダ男性キックボクサーアムステルダム出身。

人物

子供の頃はサッカーに夢中になり、アヤックス・アムステルダムユースチームに所属していた。類稀な運動神経でサッカーにおいても目立つ存在だった。将来を期待された選手だったが、チームスポーツに馴染めなかったために、個人競技に転向したいと思い、格闘技に興味を持ち、16歳の時にインドネシアの伝統武術であるプンチャック・シラットを始めた。

キックボクサーのルシアン・カルビンの試合を見た後、19歳の時にキックボクシングの名門、オランダ目白ジム[1]に入門し、カルビン、そしてヤン・プラスの下でムエタイとキックボクシングの練習を始めた。4か月後に初試合を行い、フランス国内王者のカリロンと対戦して判定負け。その後、勝ち星を重ねてA級に昇格すると、ベニー・ユキーデの従兄弟のブリンキー・ロドリゲスと対戦しローキックで2RKO勝ちし、国際的に名前が知られるようになった。

人間的にも素晴らしく、その人格には高い評価が与えられている。自分の車を貸した友人がその車で銀行強盗を起こした際、友人は背格好も容姿もカーマンにそっくりだった為にカーマンが逮捕された。カーマンは冤罪であったが罪をかぶり、その友人の代わりに自分が刑務所に入ったという逸話がある。彼によればその方が友人を反省させられると考えたからだと言う。服役したカーマンの姿に、良心の呵責に苛まれた友人は自首し事件は一件落着した。

1980年代後半は日本のリングに登場し、低迷する日本のキック界をカーマンが盛り上げ格闘技ブームの一翼を担った。

来歴

1983年9月23日、WKA世界王座に挑戦。ジョン・モンカイヨと対戦しローキックで3R KO勝ちしヨーロッパ系のキックボクサーとして初のWKAの世界王者となった。

1984年1月12日、パーヤップ・プレンチャイ(タイ)とムエタイルールで対戦し、勝利を収めた。4月にアメリカ・フロリダ州でモンカイヨと再戦し、これを2R KO(パンチ)で退ける。同年12月28日には香港でサーマート・プラサンミット(タイ)に、ジャン・マルク・トーナスにWKAフルコンタクトヨーロッパ王座決定戦で勝利した。

1987年11月15日、全日本キックボクシング連盟興行で初来日。1Rでラックチャート・ソーパサドポンをKOし、日本でも知られる存在になった。これを機に日本での試合のオファーが増え、カークウッド・ウォーカードン・中矢・ニールセンといった強豪キックボクサーと対戦しその試合全てを勝利した。

1989年4月9日、オランダでヤン・ウェッセルと対戦するも敗北。しかし、その年の終わりにウェッセルと再戦し2R KOで下しリベンジに成功した。

1989年10月21日、全日本キック後楽園ホール大会で、プロレスラーのサムソン・ネグロ(イギリス)と異種格闘技戦を行い、3R 38秒 左膝蹴りでKO勝ちした。

1990年に映画「ブラッドフィスト」に出演し、ドン・ウィルソンとの共演も果たした。同年、長男が誕生。

1990年6月30日、日本武道館で行われたWKA世界ジュニアライトヘビー級王座防衛戦で、ピーター・スミットオランダ/WKAヨーロッパ王者)と対戦。10R 2分10秒 右ストレートでKO負け、王座から陥落した。

1990年9月28日、全日本キック武道館大会で西良典と対戦、1RKO勝ち。またオランダでアーネスト・ホーストにも5R KO勝ちした。

1991年6月29日、ピーター・スミットを破りルック・フレヘイヤーが戴冠したWKA世界王座にフランスパリで挑み、5R 1分36秒レフリーストップによるTKO勝ちで王座に返り咲いた。この年はフランスを主戦場にしてリック・ルーファス、ジャスティン・ワードといった選手と対戦した。

1992年6月20日、当時フルコンタクトルールで史上最強と言われたジャン・イヴ・テリオーの持つISKAフルコンタクト世界王座に挑戦し、TKO勝ちを収め新王者となった。

1993年11月26日、オランダ王者のリック・ヴァン・ダムに2RKO勝ちすると、2本の映画に出演。その際、ジャン・クロード・ヴァンダムと共演。

1993年12月19日、K-1が主催したK-2 GRAND PRIX '93に参戦。1回戦でチャンプア・ゲッソンリットと対戦、ダウンを奪われての判定負け。

1995年1月7日、フランスパリで行われたK-2 France Grand Prix'95(K-1が主催)に参戦。決勝戦でジェロム・ターカン(フランス)を4RにハイキックでKO勝ちし優勝した。

1999年10月24日、オランダで開催されたIt's Showtimeで引退試合を行い、アマチュアキックボクシングの世界選手権で優勝したアレクセイ・イグナショフと対戦。

現役引退後は、アメリカでMMA選手のトレーナーをしており、ブランドン・ヴェラジェイソン・ミラーらを指導した。

2024年3月31日の夜に死去[2]。63歳没[3]

戦績

キックボクシング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ベラルーシの旗 アレクセイ・イグナショフ 3分5R終了 判定3-0 It's Showtime 1999年10月24日
× アメリカ合衆国の旗 ジャン・クロード・リビエール 5R 0:43 TKO(戦意喪失) K-1 HERCULES '96 1996年12月8日
フランスの旗 ジェロム・ターカン 3R+延長1R KO(ハイキック) K-2 France Grand Prix 1995
【決勝戦】
1995年1月7日
ギリシャの旗 トスカ・ペトリディス 3分3R終了 判定 K-2 France Grand Prix 1995
【準決勝】
1995年1月7日
アメリカ合衆国の旗 ラベル・ロビンソン 1R 2:35 KO(ローキック) K-2 France Grand Prix 1995
【1回戦】
1995年1月7日
フランスの旗 ジェロム・ターカン KO(ローキック) 1994年6月25日
× アメリカ合衆国の旗 リック・ルーファス 2R KO(左フック) 1994年2月5日
× タイ王国の旗 チャンプア・ゲッソンリット 3分3R終了 判定3-0 K-2 GRAND PRIX '93
【1回戦】
1993年12月19日
オーストラリアの旗 アダム・ワット 2R 0:49 KO(左フック) 格闘技シンポジウム~総合格闘技完成前夜 1992年12月11日
日本の旗 佐竹雅昭 5R終了 ドロー リングス MEGA BATTLE SPECIAL 礎~ISHIZUE 1992年8月21日
オーストラリアの旗 アダム・ワット 2R 2:18 KO(左ボディアッパー) 硬派er~'92格闘技オリンピックⅠ 1992年3月26日
オランダの旗 アーネスト・ホースト 5R KO(左フック) The Battle of the Year 1990年11月18日
日本の旗 西良典 1R 1:51 KO(右ロングフック) INSPIRING WARS HEAT 928 IN BUDOKAN 1990年9月28日
× オランダの旗 ピーター・スミット 10R 2:09 KO(右ストレート) INSPIRING WARS-HEAT630
WKA世界ジュニアライトヘビー級タイトルマッチ
1990年6月30日
フランスの旗 ドミニク・シーグラー 1R 2:21 KO(右ローキック) INSPIRING WARS SECOND 1990年3月31日
アメリカ合衆国の旗 ドン・中矢・ニールセン 3R 0:44 KO(右ショートフック) 今世紀最大の激突! 1989年9月5日
アイルランドの旗 ショーン・オレガン 2R 1:00 KO(左フック) 格闘技大戦争パート5 1988年11月25日
アメリカ合衆国の旗 カリブ・ゲイブ・カールマイケル 3R 1:43 KO(右ローキック) 格闘技大戦争パート4 1988年10月14日
アメリカ合衆国の旗 サンディアゴ・ガルザ 3R 0:35 KO(右ローキック) 格闘技大戦争 Part III 1988年7月16日
タイ王国の旗 ハンスー・プレムチャイ 1R 1:46 KO(パンチ連打) 格闘技大戦争PART2 1988年5月29日
イングランドの旗 カークウッド・ウォーカー 4R 1;55 KO(左フック) 格闘技大戦争 1988年3月12日
タイ王国の旗 ラクチャート・ソーパサドポン 1R 0:38 KO(右ボディストレート) BEST OF KICK BOXING Super Fight 3 1987年11月15日

異種格闘技戦

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
イングランドの旗 サムソン・ネグロ 3R 0:38 KO(左膝蹴り) 世紀の激突第5弾!! 1989年10月21日

総合格闘技

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
日本の旗 角田信朗 3R 2:03 TKO(レフェリーストップ) リングス MEGA BATTLE 1st 回天 1992年1月25日

獲得タイトル

  • IKBFフルコンタクト世界ライトヘビー級王座
  • WKAフルコンタクト世界ミドル級王座
  • PKAフルコンタクトヨーロッパ王座
  • WKAフルコンタクト世界ライトヘビー級王座
  • IMTF世界ムエタイライトヘビー級王座
  • WKAフルコンタクト世界スーパーライトヘビー級王座
  • ISKAフルコンタクト世界ミドル級王座
  • ISKAオリエンタル世界ライトヘビー級王座
  • K-2 France Grand Prix'95 優勝

出演映画作品

脚注

  1. ^ 目白ジムで修行したオランダ人のヤン・プラスがオランダへ帰国後、1978年に設立したジム。
  2. ^ 【訃報】ロブ・カーマンが死去。低迷していた日本のキックボクシング界を盛り上げ、K-1やリングスにも参戦”. ゴング格闘技 (2024年4月1日). 2024年4月1日閲覧。
  3. ^ Dutch Kickboxing Star, Former WKA World Championship Winner Rob Kaman Passes Away Aged 63” (英語). www.lowkickmma.com (2024年3月31日). 2024年4月1日閲覧。

関連項目