第2代ローデン伯爵 ロバート・ジョスリン (英語 : Robert Jocelyn, 2nd Earl of Roden KP PC (Ire) 、1756年 10月26日 – 1820年 6月29日 )は、アイルランド王国 出身の貴族、政治家。1771年から1797年までジョスリン子爵 の儀礼称号 を使用した[ 1] 。
生涯
初代ローデン伯爵ロバート・ジョスリン とアン・ハミルトン(Anne Hamilton 、1730年5月 – 1802年4月16日、初代クランブラシル伯爵ジェームズ・ハミルトン の娘)の息子として、1756年10月26日に生まれた[ 1] 。1773年11月1日にオックスフォード大学 エクセター・カレッジ に入学、1776年10月31日にM.A. の学位を修得した[ 2] 。
1776年にメアリーバラ選挙区 (英語版 ) でアイルランド庶民院 議員に当選したが、後に当選無効を宣告された[ 3] 。その後、1783年から1797年までダンドーク選挙区 (英語版 ) の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[ 3] 。
1797年6月22日に父が死去すると、ローデン伯爵 位を継承した[ 1] 。同年にアイルランド枢密院 (英語版 ) の枢密顧問官に任命された[ 4] 。議会では政府を支持して、合同法案 にも賛成票を投じた[ 5] 。
1798年アイルランド反乱 (英語版 ) では1st Irish fencible dragoons を指揮、5月から6月までウェックスフォード県 を転戦、6月21日のヴィネガー・ヒルの戦い (英語版 ) と8月27日のキャッスルバーの戦い (英語版 ) に参戦した[ 5] 。
1800年から1820年までラウス首席治安判事 (英語版 ) を務めた[ 4] 。1801年にアイルランド王国 とグレートブリテン王国 が合同して、グレートブリテン及びアイルランド連合王国 が成立したことに伴い、アイルランド貴族代表議員 に選出され、以降1820年までを務めた[ 1] 。1806年11月13日、聖パトリック勲章 を授与された[ 1] 。
オレンジ結社 (英語版 ) の指導者の1人であり、1820年にダンドーク でカトリック信者の家を襲撃したと疑われてエディンバラ に逃れ、同年6月29日[ 1] にそこで急死した[ 5] 。遺体はソーブリッジワース (英語版 ) で埋葬され[ 4] 、息子ロバート が爵位を継承した[ 1] 。
家族
1788年2月5日にダブリン でフランシス・セオドシア・ブライ(Frances Theodosia Bligh 、1802年5月22日没、ロバート・ブライの娘)と結婚[ 1] 、4男2女をもうけた[ 4] 。
ロバート (1788年10月27日 – 1870年3月20日) - 第3代ローデン伯爵
ジェームズ・ブライ(1812年7月10日没)
トマス(1816年2月5日没)
ジョージ(1821年没)
フランシス・セオドシア(1795年8月10日 – 1820年5月10日) - 1813年2月6日、第5代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールド と結婚、子供あり
アン(1822年10月13日没)
1804年7月5日、ジュリアナ・アン・オード(Juliana Anne Orde 、1804年頃 – 1856年11月23日、ジョン・オードの娘)と再婚[ 1] 、2男をもうけた[ 4] 。
ジョン(1805年7月 – 1869年7月22日) - 1839年7月18日、エミリー・トムソン(Emily Thompson 、1845年5月3日没、ヘンリー・トンプソンの娘)と結婚、子供あり。1855年8月16日、ヘレン・ヒル(Helen Hill 、1890年3月19日没)と再婚。第6代ローデン伯爵ウィリアム・ジョスリン と第7代ローデン伯爵ロバート・ジョスリン の父
オーガスタス・ジョージ・フレデリック(1811年12月 – 1887年4月11日) - 1845年2月19日、セシリア・ダグラス(Cecilia Douglas 、1847年8月26日没、サー・ニール・ダグラス (英語版 ) の娘)と結婚、子供あり。1851年1月8日、グレース・マクニール(Grace MacNeill 、1852年1月24日没、サー ・ジョン・マクニールの娘)と再婚、子供あり
出典
^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward , ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 387.
^ Foster, Joseph , ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (E to K) (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 754.
^ a b "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800" . Ulster Historical Foundation (英語). 2020年10月21日閲覧 。
^ a b c d e "Roden, Earl of (I, 1771)" . Cracroft's Peerage (英語). 12 August 2007. 2020年10月21日閲覧 。
^ a b c Bergin, John (2009). "Jocelyn, Robert". In McGuire, James; Quinn, James (eds.). Dictionary of Irish Biography (英語). Cambridge: Cambridge University Press. doi :10.3318/dib.004283.v1 。
外部リンク