ロバート・ギャラリー
ロバート・ギャラリー(Robert Gallery、1980年7月26日 - )はアイオワ州・マンチェスター出身の元アメリカンフットボール選手。現役時代のポジションはタックル、ガード。 経歴プロ入りまで高校時代はタイトエンドとアウトサイドラインバッカーでプレーした。またバスケットボールと陸上競技も行っており、走高跳で6フィート5インチを跳んでいる。 アイオワ大学に入学当時はタイトエンドであった彼は1年次の途中に右タックルにコンバートされた[1]。1年次には6試合で右タックルとして先発出場した。2年次の2001年には全試合で左タックルとしてプレーした。この年チームはビッグ・テン・カンファレンス最多の得点をあげて、4年ぶりにボウルゲームに出場した。3年次の2002年は全13試合に左タックルとして先発出場し、カンファレンスのファーストチームに選ばれた。チームは12年ぶりにカンファレンスで優勝、80年ぶりにシーズンを無敗で終えた。4年次の2003年には2年連続カンファレンスのファーストチームに選ばれるとともに、オールアメリカンファーストチーム、カレッジフットボールの最高のラインマンに与えられるアウトランド・トロフィーに選ばれた。アイオワ大学から同賞に選ばれたのは、アレックス・カラス、カル・ジョーンズに次いで3人目であった。36試合連続で相手にQBサックを許さなかった彼は、NFLドラフトレポートからは、9.0と評価を受けた。この評価は1995年のドラフト前にトニー・ボセリが8.8と評価されて以来オフェンスラインの選手としては、最高のものであった[2]。 オークランド・レイダース2004年のNFLドラフト1巡全体2位でオークランド・レイダースに指名された。1年目は15試合に先発し3サックしか許さなかった。2年目の2005年は全16試合に先発出場し3.5サックしか許さなかった。3年目の2006年、アート・シェルヘッドコーチが就任し、右タックルから左タックルにコンバートされた。開幕戦のサンディエゴ・チャージャーズ戦で彼が相手に3サックを許すなど、チームは9サックを許した。6試合に欠場した彼は10試合で10.5サックを許した。アート・シェルヘッドコーチが解任された後は、左ガードとしてプレーした[3]。 2010年の第1週、テネシー・タイタンズ戦で負傷退場した[5]。シーズン終了後、レイダースと契約延長について話し合ったが、800万ドルを求める彼に対してチームのオファーは、およそ250万ドルであり、フリーエージェントで移籍先を探すこととなった。レイダースでは2010年までの7シーズン、91試合に先発出場した[6]。 レイダース退団以降2011年、フリーエージェントとなった彼は前年までレイダースのヘッドコーチだったトム・ケイブルがオフェンスラインコーチを務めるシアトル・シーホークスと[7]3年契約を結んだ[8]。プレシーズンゲーム最終週のオークランド・レイダース戦で右ひざを負傷した[9]。この年12試合に先発出場した。 2012年3月14日、契約を2年残していたもののシーホークスから解雇された[10]。3月19日にニューイングランド・ペイトリオッツと契約を結んだが[11]、8月4日に現役引退を表明した[12]。 人物ドラフト指名前、巨漢であるにもかかわらず、十分走ることができる彼は高い評価を受けた[13]。 脚注
外部リンク
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