レン・カスパラビッチ
レオナルド・レオニド・カスパラビッチ(Leonard Leonide Kasparovitch、1919年7月21日 - 1994年3月1日[1])は、アメリカ合衆国・ハワイ準州(Territory of Hawaii)出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 来歴・人物1953年5月にハワイ・レッドソックスからチームメイトの渡部満とともに近鉄パールスに入団[2]。来日時に、近鉄は首位につけており、カスパラビッチも勢いに乗って2連勝する[3]。しかし、チーム成績の下降とともに勝ち運に見放され、6勝10敗と大きく負け越した。なお、カスパラビッチの先発登板時には渡部とバッテリーを組み3勝を記録している[4]。同年限りで渡部が帰国すると、翌1954年は防御率は2.04だったが、援護に恵まれず1勝もあげられないままこの年限りで退団した。武器はドロップ、カーブ、シンカー、シュート。 真珠湾攻撃を体験していたため、日本行きは複雑な心境だったといわれている[5]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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