レジナルド・バーソロミュー

レジナルド・バーソロミュー

Reginald Bartholomew
負傷したバーソロミュー、1984年、ベイルートにて
生誕 1936年2月17日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メイン州 ポートランド
死没 (2012-08-26) 2012年8月26日(76歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク市 マンハッタン
職業 外交官
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レジナルド・バーソロミュー(Reginald Bartholomew, 1936年2月17日 - 2012年8月26日)は、アメリカ合衆国外交官

生涯

1936年、メイン州ポートランドにて誕生した[1]1958年ダートマス大学で学士号を[1]、続いて1960年シカゴ大学で修士号を取得した[1]。1960年から1962年までシカゴ大学国際関係委員会顧問[1]1961年から1964年までシカゴ大学社会科学講師を務めた[1]。この間に1年間のフランス留学を経験し、フランス語とフランス政治を学ぶ[2]。1964年から1968年までウェズリアン大学行政学講師[1]

1974年から1977年まで国務省政策企画本部副本部長[1]。1977年から1979年まで国務省政治軍事局次長[1]および国家安全保障会議メンバー[1]1979年から1981年まで国務省政治軍事局長[3]

1983年、バーソロミューはレバノンの大使に任命された。翌年、テロリストは撤退を求めて新しく建設された米国大使館と海兵隊を爆撃した。 しかしバーソロミューの助言のもと、レーガン大統領1984年2月まで撤退の命令を遅らせた。1986年まで駐レバノン大使[3]。1986年から1989年まで駐スペイン大使[3]国務次官(国際安全保障担当)[3]1992年から1年間、NATO大使[3]1993年から1997年まで駐イタリア大使[3]

2012年8月26日、がんのためニューヨーク市マンハッタンで死去[4]。76歳没。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Reginald Bartholomew”. NNDB. 2011年5月3日閲覧。
  2. ^ http://www.nytimes.com/2012/08/30/world/europe/reginald-bartholomew-american-diplomat-dies-at-76.html?_r=0
  3. ^ a b c d e f Reginald Bartholomew”. United States Department of State. 2011年5月3日閲覧。
  4. ^ Reginald Bartholomew, Busy Diplomat, Dies at 76 New York Times 2012年8月30日閲覧
公職
先代
レスリー・ハワード・ゲルブ
アメリカ合衆国国務省政治軍事局長
1979年7月1日 - 1981年1月20日
次代
リチャード・バート
先代
エド・ダーウィンスキ
アメリカ合衆国国務次官(国際安全保障担当)
1989年4月20日 - 1992年7月7日
次代
フランク・ジョージ・ウィズナー
外交職
先代
ロバート・シャーウッド・ディロン
在レバノンアメリカ合衆国大使
1983年10月27日 - 1986年5月16日
次代
ジョン・ヒューバート・ケリー
先代
トマス・オストロム・エンダーズ
在スペインアメリカ合衆国大使
1986年9月17日 - 1989年3月12日
次代
ジョセフ・ザッパラ
先代
ピーター・セッキア
在イタリアアメリカ合衆国大使
1993年10月14日 - 1997年9月28日
次代
トマス・マイケル・フォグリエッタ