レオニード・ニコラーエフ
レオニード・ヴラディーミロヴィチ・ニコラーイェフ(ロシア語: Леонид Владимирович Николаев,英語: Leonid Vladimirovich Nikolayev, 1878年8月13日 – 1942年10月11日)は、ソビエト連邦のピアニスト・作曲家・教育者。 経歴1878年、キエフ生まれ。キエフ音楽学校でピアノをヴラディミール・プハリスキーに学び、音楽理論をエフゲニー・リブに学ぶ。1897年にモスクワ音楽院に入学し、ピアノをワシーリー・サフォーノフ、作曲をセルゲイ・タネーエフとミハイル・イッポリトフ=イヴァノフのクラスで学ぶ。1900年に同音楽院を卒業。 長年にわたってペテルブルク音楽院でピアノ科教授を勤め、成功しなかったものの一時期、院長にも就任した。著名な門人にヴラディーミル・ソフロニツキーやマリヤ・ユーディナ、ディミトリー・ショスタコーヴィチがいる[1]。 親交を結んでいたショスタコーヴィチは、ニコラーエフを「一流の音楽家にして、叡智と博学の人として尊敬し」て[2]、「彼はピアニストだけではなく、第一に思考する音楽家を養成したのだ。狭い専門分野といった特殊な意味では、彼は何の流派も創り出さなかった。ピアノ芸術の領域に、幅広い美学的な傾向を具体化して発展させたのだ」と述懐した[1]。ショスタコーヴィチの《ピアノ・ソナタ第2番》はニコラーエフに献呈されている。 1941年に独ソ戦が勃発すると、他の音楽家と同じくタシュケントに疎開し、間もなく同地に客死した。 作曲家としては、交響曲などの管弦楽曲や合唱曲、弦楽四重奏曲、ヴァイオリンやチェロ、ピアノのための独奏曲を遺した。 受賞
参考資料
註外部リンク
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