レオニード・シチェルバコフ
レオニード・シチェルバコフ(ロシア語: Леонид Михайлович Щербаков、1927年4月7日 - )は、旧ソビエト連邦の陸上競技選手。1952年ヘルシンキオリンピックの銀メダリストである。 経歴シチェルバコフは、三段跳の選手として、1950年、ブリュッセルで行われたヨーロッパ選手権において、15m39で、2位に40cm以上の大差をつけ金メダルを手にした。2年後のヘルシンキオリンピックでは、15m98とこれまでの世界記録(16m01)に迫る好記録を出し銀メダルを獲得した。(ブラジルのアデマール・ダ・シルバが16m12、16m22と、世界記録を連発し金メダルを獲得。) 1953年3月には、15m52を出し世界室内記録を更新。さらに同年7月19日にモスクワで16m23と、前年のオリンピックでダ・シルバが出した世界記録を1cm更新した。1954年には、ベルンで行われたヨーロッパ選手権において、15m90という記録で、2位の選手に73cmの大差をつけ圧勝した。1955年3月に、シチェルバコフの世界記録は、ダ・シルバによって更新された(16m56)ものの、翌1956年7月4日に、16m46の自己ベストをマーク。この記録は彼自身にとって10回目のソビエト新記録。7回目のヨーロッパ新記録であった。 そして、1956年メルボルンオリンピックでは、15m80で6位という結果に終わった。一方でダ・シルバは2連覇を達成した。 引退後はコーチとして活躍。1971年に三段跳で17m40の世界記録を樹立したキューバのペドロ・ペレスのコーチとしても知られている。 主な実績
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