ルブヌィ(ウクライナ語: Лубни)はウクライナ・ポルタヴァ州の市である。
ルブヌィ地区の行政中心地であるが、ルブヌィ自体は行政上は地区に含まれず、単独でルブヌィ評議会(Лубенська міська рада)を形成する[1][注 1]。人口は2013年の時点で47636人[2]。ポルタヴァ州の中で、ポルタヴァ、クレメンチューク、ホリーシュニ・プラウニ(英語版)に次ぐ4位の人口規模である。
歴史
ルブヌィは、ウクライナ最古級の市として知られる。沿スーラ川防衛線を構成する都市のひとつとして、キリスト教の受容を記念し、キエフ大公ウラジーミル1世によって988年に創建されたと言い伝えられてきた。ただし、文書として残っている最古の記録は1107年のものである[3]。当初はスラー川を見下ろす場所にある、木の塀で囲まれた小さな要塞都市だったが、急速に成長していった。
1107年8月12日、ルブヌィ近郊で起きたスラー川の戦い(ウクライナ語版)で、キエフ大公スヴャトポルク2世およびウラジーミル2世モノマフの軍が、ボニャークとシャルカンの率いるポロヴェツ族の軍を撃破した[4]。
1239年、モンゴル軍の征服によって、ルブヌィの街は徹底的に破壊された。しかし、住民たちは周囲の森林や湿地帯へと逃げて、その豊かな自然のおかげで生き延びた後に街を再建した。
15世紀から16世紀ごろはヴィシュネヴェーツィクィイ家が支配していた。マクデブルク法で統治され、紋章もこのころ制定された。
1596年には、ポーランドに反乱を起こしたセヴェルィーン・ナルィヴァーイコによる最後の戦いの舞台となった(ソロニツキーの戦い(ウクライナ語版))[5]。17世紀までには、地域内で最大級の街となった。
フメリニツキーの乱が起きた1648年から1658年まではヘーチマン国家のミルゴロド連隊が、1658年から1781年まではルブヌィ連隊が領有し、その行政中心地となった[3]。
1782年、ロシア帝国キエフ総督府(英語版)の管轄下で、ウエズドの一つとなる[3]。管轄は1793年に小ロシア県、1802年にポルタヴァ県に移る[6]。
1901年に鉄道が通ると、ルブヌィの工業は大きく発展した。地元の新聞紙が1917年7月に発刊した[7][8]。
1918年初頭にはソビエト連邦による支配が確立する[3]。その後、ドイツおよびオーストリアの軍が占領するが、第一次世界大戦の終結により撤兵した[3]。
第二次世界大戦においてドイツ軍に占領された後も、ルブヌィはパルチザンの活動拠点となった[3]。強制収容所は二つ存在していた[9]。1941年10月16日、ドイツのアインザッツグルッペンによって、ルブヌィのユダヤ人1000名以上が殺害された[10]。1943年9月18日にソ連赤軍が街を奪回する[3]。
現代
今日のルブヌィは工業が発達した都市であり、この地域における文化的中心地である。
工業が成長した1901年から1930年代に建てられた、自動車や農機具の製造工場の多くが、現在も操業を続けている。また、ルブヌィでは食肉製品、乳製品、家具、およびパンの生産が活発である。『ハルモニヤ』ブランドの乳製品工場があるほか、ルブヌィのパンはウクライナ中で知られている。
街一番のランドマークはムハールスクィー修道院(英語版)で、17世紀に建てられたウクライナ・バロック様式の聖堂がある。
地理
ルヴヌィはスラー川右岸に位置し、上流1kmの位置にはムハル村(ru)、下流0.5kmの位置にはテルヌィ村(ru)がある。また対岸にはザスリッヤ村(ru)がある[注 2]。市内を自動車道1713、Т-1714、Т-1718が走り、鉄道としてはルブヌィ駅(ru)がある。
気候
ルブヌィは温帯に属する。
ルブヌィの気候
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月 |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
年
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最高気温記録 °C (°F)
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9.7 (49.5)
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15.5 (59.9)
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21.7 (71.1)
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28.7 (83.7)
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33.3 (91.9)
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35.1 (95.2)
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36.2 (97.2)
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37.6 (99.7)
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33 (91)
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29.1 (84.4)
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18.6 (65.5)
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12.3 (54.1)
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37.6 (99.7)
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平均最高気温 °C (°F)
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−3 (27)
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−2 (28)
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3.3 (37.9)
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13.3 (55.9)
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20.7 (69.3)
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24 (75)
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25.9 (78.6)
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25.1 (77.2)
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19.7 (67.5)
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11.8 (53.2)
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4.1 (39.4)
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−0.9 (30.4)
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12 (54)
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日平均気温 °C (°F)
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−5.9 (21.4)
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−5.2 (22.6)
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−0.4 (31.3)
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8.4 (47.1)
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15.1 (59.2)
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18.6 (65.5)
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20.4 (68.7)
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19.2 (66.6)
|
13.9 (57)
|
7.3 (45.1)
|
1.4 (34.5)
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−3.4 (25.9)
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7.6 (45.7)
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平均最低気温 °C (°F)
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−8.7 (16.3)
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−8 (18)
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−3.4 (25.9)
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4.2 (39.6)
|
9.8 (49.6)
|
13.3 (55.9)
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15.2 (59.4)
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14.1 (57.4)
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9.2 (48.6)
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3.6 (38.5)
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−1 (30)
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−5.8 (21.6)
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3.6 (38.5)
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最低気温記録 °C (°F)
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−32.1 (−25.8)
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−29.3 (−20.7)
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−27 (−17)
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−9.5 (14.9)
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−2.4 (27.7)
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2.8 (37)
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4.6 (40.3)
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2.7 (36.9)
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−4 (25)
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−8.5 (16.7)
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−20.5 (−4.9)
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−27 (−17)
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−32.1 (−25.8)
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降水量 mm (inch)
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45 (1.77)
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41 (1.61)
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41.5 (1.634)
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42.2 (1.661)
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46 (1.81)
|
73.4 (2.89)
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64.1 (2.524)
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57.2 (2.252)
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48.6 (1.913)
|
43.9 (1.728)
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48.2 (1.898)
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49.6 (1.953)
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600.5 (23.642)
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平均降水日数 (≥0.2 mm)
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19.3
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16.6
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15.6
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8.8
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9.4
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9.2
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7.7
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5.8
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9
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10.4
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15.5
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18.8
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146.1
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出典:[11]
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行政
ルブヌィは『地方特別市(ウクライナ語: Місто обласного значення)』に指定されていて、ルブヌィ・ラヨンではなく、ポルタヴァ州が直轄している。
市内は8つの地区に分けられている。それぞれの地区は、市の委員会によって任命された長官が責任者として行政を担う。
ルブヌィ出身の著名人
ギャラリー
脚注
注釈
出典
- ^ Лубенська міська рада
- ^ Численность населения на 1 февраля 2013 года // Головне управління статистики у Полтавській області (2013).
- ^ a b c d e f g “Lubny” (英語). The Great Soviet Encyclopedia. (1979). https://encyclopedia2.thefreedictionary.com/lubny
- ^ Л. Є. Махновця (1989). О. В. Мишанич. ed. Літопис руський. Дніпро. p. 161-162. ISBN 5-308-00052-2. http://resource.history.org.ua/item/0006367 2019年12月24日閲覧。
- ^ Лепявко С.А.. “СОЛОНИЦЬКИЙ БІЙ 1596”. Енциклопедія історії України. 2019年12月24日閲覧。
- ^ Лубны // Большая Советская Энциклопедия. / редколл., гл. ред. Б. А. Введенский. 2-е изд. том 25. М., Государственное научное издательство «Большая Советская энциклопедия», 1954. стр.439
- ^ № 6800 «Красная Лубенщина» («Червона Лубенщина») // Газеты СССР 1917—1960. Библиографический справочник. том 3. М., «Книга», 1978. стр.224
- ^ Газеты дореволюционной России 1703—1917. Каталог. СПб., 2007. стр.91
- ^ Концентрационные лагеря, образованные на территории СССР немецко-фашистскими захватчиками в 1941-1944 гг. Список составлен по материалам Чрезвычайной Государственной Комиссии (ЧГК) // газета "Судьба", июнь 1995. стр.3-6
- ^ United States Holocaust Museum, Einsatzgruppen (Mobile Killing Units) Archived 2009-05-07 at the Wayback Machine.
- ^
“Lubny, Ukraine”. Weatherbase. 2019年12月22日閲覧。
関連項目
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