ルネ・ブラツェット(Rune Bratseth, 1961年3月19日 - )は、ノルウェー・トロンハイム出身の元サッカー選手。元ノルウェー代表。サッカー指導者。現役時代のポジションはスウィーパー。
経歴
クラブ
トロンハイムに生まれたブラツェットは地元のクラブでサッカーを始め、1983年に同じく地元のローゼンボリBKへ入団した。ローゼンボリで頭角を現した後、1986年に移籍金9万3000ユーロでドイツ1部のヴェルダー・ブレーメンへ移籍[1] し、冬の中断期間明けの2月21日に1.FCニュルンベルク戦(1-5敗北)で初出場及び初先発を飾った。ブレーメンではオットー・レーハーゲル監督の下でスウィーパーのポジションを獲得し、加入2季目にはクラブの22季ぶりとなるリーグ優勝に貢献した。
1991年にDFBポカール優勝、1992年にはUEFAカップウィナーズカップでフランス1部のASモナコを2-0で下し初優勝をした[2]。同大会のブラツェットは全9試合中8試合2得点(ルーマニア1部のFCMバカウとの2試合)を記録するなど、中心選手として活躍していたが、ブレーメンで2度目のリーグ制覇を経験後に膝の問題に苦しみ始め、注射を打ちながらのプレーを余儀なくされ、1994-95シーズンでは僅か1試合に出場にとどまり、シーズン終了後に34歳で現役引退をした。ブレーメンでの在籍8季で公式戦316試合20得点を記録。ベルギー1部のRSCアンデルレヒトとのUEFAチャンピオンズリーグ 1993-94(ホーム5-3勝利)では前半の間に0-3と大差を付けられる苦しい展開だったものの、後半になるとチームはブラツェットの得点を含め5得点を挙げ、大逆転勝利となった[3]。
引退後
2003年11月のUEFA創立50周年記式典UEFAジュビリーアウォーズにノルウェーサッカー協会から過去50年間(1954年-2004年)で最も優秀な選手Golden Playerに選出された[4]。その後は、古巣ローゼンボリのディレクターとしてニルス・アルネ・エッゲン(en)監督とパートナーを組み[5]、翌年クラブはリーグ戦を制覇した。ローゼンボリで仕事を開始した当初は選手として登録され、また、出番は訪れなかったもののUEFAチャンピオンズリーグの25名の一員としてベンチ入りをした。
1995年より2007年までローゼンボリBKのスポーツディレクターを務めた。
2006年6月10日から11月8日までの間はローゼンボリの暫定監督に就任。その間、自身の仕事はニルス・アルネ・エッゲンの息子であるクヌート・トルビョルン・エッゲン(en)が引き継いでいた。
代表
ノルウェー代表としては、1986年2月26日のグレナダ戦で代表デビュー[6]。その後は主将を務め、1992年から1993年にかけて行われた1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選で強豪のイングランドを退け、同国のワールドカップ初出場に貢献。翌1994年6月の本大会にも出場し、28日に行われたアイルランドとの1次リーグ第3戦を最後に代表から退いた。ブラツェットは60試合4得点を記録した[7]。
タイトル
- クラブ
- ローゼンボリBK
- ヴェルダー・ブレーメン
- 個人
脚注
- ^ "Bratseth i UEFA-kåring" rbk.no
- ^ "1991/92: Bremen shine in Stadium of Light"
- ^ "A green miracle in the Champions League – 3-0 deficit turned to 5-3 win over Anderlecht"
- ^ "Golden Players take centre stage"
- ^ "The riddle of Rosenborg"
- ^ "Legende, direktør og gentleman"
- ^ "Norway – Record International Players" RSSSF
外部リンク