『神の業(ドイツ語版)』(羅: De Opificio Dei) - 弁証的な作品、ディオクレティアヌスによる迫害中の303年か304年に書かれ、以前の弟子でデメトリアニウスという名のキリスト教徒に献じられた。ラクタンティウスの著作全体に通底する弁証原理は本論考において十分明らかにされている。
『神聖教理(英語版)』(羅: Divinarum Institutionum Libri VII)[7] - 303年から311年に書かれた。本書がラクタンティウスの著作の中で最も有名である。弁証的論考として本書は異教徒の批判者に対する反論として、異教的信仰の無益さの指摘とキリスト教の真理の有効性の確立に充てられている。本書はラテン語では初めてのキリスト教神学の体系的開陳であり、全ての反論者を沈黙させるのに十分広範な内容になるように計画されている[8]。 『カトリック百科事典』によれば、「ラクタンティウスの強さと弱さが彼の著作以上に弱く示されてるところはない。彼の文体の美しさ、選択、そして語法の適切さは、キリスト教の原理に対する著者の理解の欠如と、聖典に関するほぼ完全な無知を隠せていない。」 この論考には、20世紀まではただ二つ知られていた頌歌の一方であるソロモンの頌歌が19回引用されている[9]。しかし、彼が地球球体説を嘲っている[10]のはコペルニクスに「子供じみている」と批判されている[11]。
『神聖教理』の概略版が存在し、主題をまとめている。
『神の怒り』(羅: De Ira Dei) - はっきりとストア派やエピクロス派に向けられており、擬人化された神々を扱っている。
『迫害者達の死(英語版)』(羅: De Mortibus Persecutorum) - 弁証的な性格を持つが、キリスト教著述家たちには歴史書として扱われている。本書の要点はキリスト教迫害者達の死を描くことにある: ネロ、ドミティアヌス、デキウス、ウァレリアヌス、アウレリアヌス、そしてラクタンティウス時代の同時代人のディオクレティアヌス、マクシミアヌス、ガレリウス、マクシミヌス・ダイアがこれに相当する。本書は、それぞれの逸話がそのために配置されたところの道徳的要点の代わりに、迫害の最大最後の年代記とみなされた。ここでラクタンティウスはコンスタンティヌス1世が改宗前にみたキー・ロー(ギリシア語版、英語版)(☧)の幻視を保存している。完全なテキストはただ一つの写本から見つかっているが、その写本は『ルキウス・カエキリウスの迫害者達の死についての書にドナトゥスの告白を付す』(羅: Lucii Caecilii liber ad Donatum Confessorem de Mortibus Persecutorium)と題されている。
広くラクタンティウスに帰されているがキリスト教のはっきりした表徴がない詩『不死鳥』(羅: de Ave Phoenice)は、神話に出てくる鳥が死んでは甦る話を伝えている。一方、この詩は有名なアングロ・サクソン詩に近代になってから『不死鳥』という題が与えられた源泉となっている。