ルイーゼ・フォン・アンハルト=デッサウ (1798-1858)
ルイーゼ・フリーデリケ・フォン・アンハルト=デッサウ(Luise Friederike von Anhalt-Dessau, 1798年3月1日 - 1858年6月11日)は、ドイツの諸侯アンハルト=デッサウ家の公女。叔父のヘッセン=ホンブルク方伯グスタフと結婚した。 生涯アンハルト=デッサウ公世子フリードリヒと、その妻でヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ5世の娘アマーリエの間の第5子・次女。先天的な聾唖の障害を持って生まれた。 1818年2月12日にデッサウで、母の実弟ヘッセン=ホンブルク公子グスタフと結婚。夫婦は3人の子を持った。
一家はバート・ホンブルク方伯城庭園の一部を構成するグスタフ庭園(Gustavsgarten)に、ルイーゼが「アッカティウム(Accatium)」と名付けた居館を構え、この館に深い愛着を抱いていた。また、ルイーゼは実家デッサウのヴェルリッツ公園にも愛着を抱いており、夫と一緒に公園内にドーリア式の柱廊を備えたパラダイス(東屋の一種)を建設、この建物は1830年以降ティーサロンとして利用された。 夫は1846年に方伯領の君主となったが、2年後の1848年9月に亡くなった。また、同年1月には「ホンブルク唯一の希望(die Hoffnung Homburgs)」と呼ばれていた夫妻の一人息子フリードリヒが18歳で病死しており、ヘッセン=ホンブルク家の断絶が事実上確実となった。ルイーゼは夫と息子に先立たれた10年後の1858年に亡くなり、バート・ホンブルク城内の方伯家霊廟に葬られた。 参考文献
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