ルイス・デ・ラ・クルス・イ・リオス
ルイス・デ・ラ・クルス・イ・リオス(Luis de la Cruz y Ríos、1776年6月21日 - 1853年7月20日)は、スペイン、カナリア諸島生まれの画家である。おもに肖像画を描いた。 略歴スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島の町、プエルト・デ・ラ・クルス(Puerto de la Cruz)で、画家、木彫り彫刻家のマヌエル・デ・ラ・クルス(Manuel de la Cruz)の息子に生まれた。父親から美術を学んだ後、サンタ・クルス・デ・テネリフェの画家、フアン・ベントゥーラ・デ・ミランダ(Juan Ventura de Miranda: 1723-1805)の弟子になった。1795年から1810年の間はプエルト・デ・ラ・クルスに自分の工房を開き活動した。22歳でグラン・カナリア島のラス・パルマスの教会の宗教画を描いた。1800年には町の民兵隊の将校に任命され、1808年まで様々な民兵としての職務を果たした。1808年にプエルト・デ・ラ・クルスの市長を務めテネリフェ島で教えていたが、1816年ころスペイン王フェルナンド7世の宮廷画家として招かれ、マドリードに移った。 スペイン立憲革命の中、1823年にデ・ラ・クルス・イ・リオスはマドリードから政治的な理由でパリに亡命し、スペインに侵攻したフランス軍とスペインに戻った。1825年にフランス王シャルル10世から騎士(Ordre de Saint-Michel)に叙せられた[1]。フェルナンド7世に多くの公職に任命され、1833年にイザベル・ラ・カトリカ勲章(Orden de Isabel la Católica)を受勲した[2]。フェルナンド7世を継いだスペイン女王イサベル2世からも俸給を与えられた。 1853年に故郷に戻る途中にアンダルシアのアンテケーラで亡くなった。 作品
脚注参考文献
|