リー・クーンチョイリー・クーンチョイ(Lee Khoon Choy, 李炯才、1924年 - 2016年2月27日)は、シンガポールの政治家。PAP(People's Action Party、人民行動党)所属。 略歴現マレーシア・ペナン州バターワース(北海)生まれ、客家系である。 太平洋戦争(大東亜戦争)時に抗日の拠点となっていたことで知られる、鐘霊中学(Chung Ling High School)卒業。少年時「抗日キャンペーン」の劇で憎まれる日本人役をした彼の写真は、現地の新聞で取り上げられていたため顔が知られていた[1]。そのため日本軍がシンガポールを占領した時代、舅舅(母方の叔父)の農家のある山間部に1941年から45年まで隠れていた。途中隠れ家が日本軍に見つかったが、日本の警察の手先となって働いていた友人に、反日分子判別の検証で敵性ではないとされた人物の証明書である「良民証」を書いてもらったことで生き延びた[1]。 記者の仕事を経て1959年より政治の世界に入り、リー・クアンユーのPAPに参加。中央執行委員、外交部高級政務部長等を歴任。海外駐在大使としてエジプト、インドネシア、パキスタン、ユーゴスラビア、日本、大韓民国への赴任経験がある。 音楽、絵、執筆と幅広い趣味と活動を持ち、駐日大使として赴任したあとは、熱心に日本とシンガポールの文化交流を推進した[1]。現地での著作は「日本-神話と現実(神話與現實)」「出使八国記」など、複数有り。 脚注参考資料
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