リストーエル伯爵
リストーエル伯爵(英:Earl of Listowel)は、イギリスの伯爵、貴族。アイルランド貴族爵位。 初代エニスモア子爵ウィリアム・ヘアが1822年に叙されたことに始まって以来、ヘア家が保持する[1]。 分家にブレイクナム子爵家がある。 歴史一族の祖ウィリアム・ヘア(1751-1837)はコーク・シティ及びエシー選挙区選出の庶民院議員を務めたのち、1800年にケリー県エニスモアのエニスモア男爵(Baron Ennismore, of Ennismore in the County of Kerry)に叙せられた[2][3][4]。ついで1816年にエニスモア=リストーエル子爵(Viscount Ennismore and Listowel)に昇叙したうえに、1822年にはリストーエル伯爵(Earl of Listowel)に叙せられるに至った[3][5]。これら一連の爵位はすべてアイルランド貴族爵位である[3]。 初代伯は息子リチャード(1773-1827)に先立たれていたため、孫のウィリアムが1837年に爵位を継承した[3]。 2代伯ウィリアム(1801-1856)は三度にわたって、侍従たる議員を務めた[3]。 3代伯ウィリアム(1833-1924)はアイルランド総督を務めたほか、1869年に連合王国貴族爵位のコーク県コンヴァモアのヘア男爵(Baron Hare, of Convamore in the County of Cork)に叙されたため、以降の歴代当主は1999年の貴族院改革までは自動的に貴族院に籍を置くことができた[3][4][6]。 その孫にあたる5代伯ウィリアム(1906-1997)は労働党の政治家として活動して、インド大臣や郵政長官といった顕職を歴任したほか、最後のガーナ総督を務めた[3]。 その息子である6代伯フランシス(1964-)がリストーエル伯爵家現当主である。彼は1999年の貴族院法制定以降も、貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である[3]。 かつての一族の邸宅には、同島コーク県バリフーリー近郊に位置したコンヴァモアハウス(Convamore House)[4]。
現当主の保有爵位現当主である第6代リストーエル伯爵フランシス・マイケル・ヘアは、以下の爵位を有する[3]。
リストーエル伯爵(1822年)
推定相続人は、現当主の弟である ティモシー・パトリック・ヘア(1966-)閣下。 また、現当主の従兄弟にあたる第3代ブレイクナム子爵キャスパー・ジョン・ヘアー(1972-)も潜在的な継承権者である。 系図
脚注
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