ラ・ヴァレンヌ (メーヌ=エ=ロワール県)
ラ・ヴァレンヌ (La Varenne)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、メーヌ=エ=ロワール県のかつて存在したコミューン。 地理モージュ地方北部にあるコミューンで、ロワール川南岸とディヴァット川の中間に位置している。ロワール=アトランティック県との県境にあり、ナントの東25km、アンスニの西15km、アンジェの南70kmのところにある。 同じ県のコミューンではシャントソーと、ロワール=アトランティック県のコミューンではバルブシャ、ラ・シャペル=バス=メール、ル・セリエ、ウドンと接している。 ロワール川に浮かぶモロン島は、行政上はラ・ヴァレンヌに属している。 都市化1999年にINSEEがまとめた順位表によれば、ラ・ヴァレンヌは都市化された農村型コミューンであった。メーヌ=エ=ロワール県のコミューンではあるが、ナント都市圏の一部となっている。 由来varenneとはラテン語のterre sableuse(沖積された土地)からきている。これはロワールの強い存在感や蛇行する様、そしてディヴァット川と境界を接していることを想起させる。 歴史歴史的に、ラ・ヴァレンヌはブルターニュとアンジューの間に広がる緩衝地帯、マルシュ・ド・ブルターニュ(fr、シャントソーからモンフォーコンまで広がる)の一部であった。 10世紀、アンジュー伯フルク・ネラは新たな領土を占領し、アンジュー伯領をディヴァット川岸まで西進させ、南はモージュ地方を占領した。領地のうえでも、司法及び政治上でも、ラ・ヴァレンヌはアンジュー伯領、アンジュー公領であった。宗教上では、ラ・ヴァレンヌ教区はシャントソーやラ・ボワシエール=デュ=ドレと同様に、フランス革命までナント司教区に属していた。1790年、それまでナント司教区に属したアンジューの教区は、メーヌ=エ=ロワール県新設に伴いアンジュー教区に編入された。 ヴァンデ戦争中の1794年3月17日、エティエンヌ・コルドリエ率いる地獄部隊がシャントソーを通過しラ・シャペル=バス=メールへ向かった。その日、38人のラ・ヴァレンヌ住民(36人の男性と2人の女性)に死が宣告されたとラ・ヴァレンヌで登記されている。犠牲者の最年少は19歳、最年長は91歳であった。 2014年、自治体間連合に加盟する全てのコミューンが合併して新たにコミューン・ヌーヴェル(fr、サルコジ政権時代に成立したフランス国家領土改革法によって、合併して誕生したコミューンの名称)となる案が浮上した。2015年7月1日から8日にかけ、自治体間連合内の全コミューン議会でコミューン・ヌーヴェルであるオレ=ダンジュー創設を可決した[2][3]。 人口統計
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6] 脚注
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