ラ・トレモイユ家ラ・トレモイユ家(Maison de La Trémoïlle)は、フランス貴族の家系。ラ・トレムイユまたはラ・トレモワイユとも表記する。現在のヴィエンヌ県のラ・トリムイユ(La Trimouille)発祥の家系である。 ナポリ王位継承権ラヴァル伯ギー16世とターラント女公カルロッタ(フェデリーコ1世王女)の間に生まれた子女のうち、唯一結婚し子孫を残したアンヌ・ド・ラヴァル(1505年 - 1554年)はターラント女公を称し、名目上のナポリ王位請求者であった[1]。1521年1月23日、アンヌはトゥアール子爵フランソワ2世・ド・ラ・トレモイユと結婚した[1]。この結婚により、ラ・トレモイユ家にはラヴァル伯領およびナポリ王位請求権とともに、フランス宮廷におけるプランス・エトランジェの称号ももたらされた[2]。 アンヌとフランソワとの間の長男ルイ3世は、1599年に初代トゥアール公となり、次男ジョルジュおよび三男クロードは、それぞれロワイヤン侯家およびノワールムティエ公家を創設した[3]。 現在ルイ・ジャン・マリー・ド・ラ・トレモイユ(1910年2月8日 - 1933年12月9日)は、12代ラ・トレモイユ公、13代トゥアール公、13代ターラント公、17代タルモン公[4]であり、12代トゥアール公およびターラント公ルイ・シャルルの唯一の男子で継承者であった。4人の姉妹は全て公爵と結婚した。 ルイ・ジャンはフランスの大貴族の一つであったラ・トレモイユ家の唯一の男子継承者であった。ルイ・ジャンの死により、ロアン家を除く最後のプランス・エトランジェの家系が断絶した。 ルイ・ジャンは23歳でイギリスのウィッチチャーチ(ハンプシャー)のリアンダー・J.・マコーミックの領地で火事のため死去した。この不可解な死は、人々に5世紀前のジャンヌ・ダルクの殉教を思い出させた。ジャンヌ・ダルクを売ったのが、ラ・トレモイユ家の富を築いた先祖ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユであったからである[5]。ルイ・ジャンは未婚で子もなかった。 1944年の『ゴータ年鑑(Almanach de Gotha)』には、ルイ・ジャンの継承者として、長姉シャルロット(1892年 - 1971年)を挙げているが[4]、1959年に現在の法律では、世襲の称号は男子のみ相続できるとしている[6]。(1599年にアンリ4世は特許状で爵位は男子のみ継承できるとしたものの、1563年にシャルル9世により公位が与えられた際は、女子でも相続できるとされていた[7]。また、ターラント公に関してはナポリ王位継承者が帯びるため、女子相続が認められていた。) ジャン・シャルルは13代公爵の長姉の唯一の息子であるが、1934年12月20日にベルギーにおいて「リーニュおよびラ・トレモイユ公」として「ラ・トレモイユ」姓を名乗っていた[8]。その唯一の息子シャルル・アントワーヌもまた、その称号と姓を名乗っている[8]。 一族の主な人物
系図
脚注
参考文献
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